『05.今更お友達』
隊士たちが利用する食堂は、昼時には当然死覇装でごった返す。
隊長格や上位席官たちが来ることは稀だが、量も多いし味もそこそこ好みなので恋次は比較的良く利用している。そして今日もまた顔馴染みの配膳係にいつものヤツ、で通じる日替わり定食を注文し、空いてる席に腰を下ろしていた。特に評判の良いあんかけ蕎麦をすすりながら、だが胸の内はどんよりと重い。
失敗だったか、と思う。
注文の品が、ではなく、場所が。
視界にアレを認める度、有り得ないと知りながらギクリとしてしまう。
周囲を行き来する沢山の同僚たちの中の、(見た目)年若い女性隊士。
女性隊士、の、長い黒髪。
「…〜〜〜〜ッッ」
声をあげるのを我慢する代わり、机に勢い良く突っ伏した。ガチャンと食器が悲鳴をあげる。もうなんともないはずの横っ面が痛い。
脳裏に浮かぶ、宙を舞った黒髪。
馬の尻尾のような、とは果たして褒め言葉になるのかどうか恋次には分からないが、兎に角豊かな黒髪ではあった。
(そりゃキレるわな…)
あの時。殲滅を逃れていた虚の一体が一番近くにいたたちに襲いかかり、咄嗟に恋次が蛇尾丸の遠隔攻撃で仕留めた。被害はなかった。
蛇尾丸で切り落とされた、の長い黒髪以外には。
(ワザとやったわけじゃねぇし!純粋に事故だし!!)
でも髪は女の命とか言うし…!!
例えばそれが五番隊の副隊長、雛森の黒髪だったとしたら。十番隊の副隊長、松本の金髪だったとしたら。
前者はさめざめ泣いてしまうだろうし、後者は―――想像してぞっとした。更に前者については本人よりもその幼なじみあたりが怖い。
そしては。
恋次の横っ面をぶん殴った。無言で、思いっきり。
女と言えど死神。殴られた頬は見る間に腫れ上がり、喋ることもままならない有り様で。流石に放置できず花太郎にこっそり治して貰った。勿論固く口止めはしておいたが。
恋次を殴って後、は瞬歩でその場からかき消えた。何も言わず、何か言う暇も与えず。以降姿も見ていない。そもそも所属する隊が違えば隊長格同士でさえ頻繁に顔をあわせるものではない。うまくいけばこのまま風化させることも可能かもしれない。だがそんなことが出来る根性を、この場合面倒なことに恋次は持ち合わせていなかった。
(謝るしかねぇ…ってのは分かってんだが)
そう簡単に許してもらえるかどうか。女の怒りのツボというのはいまいち分からない。分からないからおっかない。普段親しく付き合う面々でさえそうなのだ、変わり者と評されるがどうでるか、全く見当もつかない。
誠意を見せるのは絶対だが、果たして何が相手にとっての誠意となるか?
どんよりとした心持ちのまま思考の渦に呑まれてしまえばそれ以降は箸も進まず、結局半分以上も昼食を残して恋次は食堂を後にした。
(誠意…責任…責任とるってか?)
いやいやいやそれは有り得ねえだろどうやって取るんだっつの!!
思考が暴走している自覚は、残念ながら今の恋次にはなく。青くなり赤くなり一人で百面相をする副隊長をすれ違う隊士達が密かに避けていく事すら気づかない。
一体何事かと遠巻きに見やる隊士達だったが、その耳にダンダンダン!と一際荒っぽくやかましい足音が届く。近づくそれに次は何だと数人が視線を移した。
「…阿散井副隊長ッ!!」
呼ばれて恋次が振り向けば、一人の女性隊士。
声は固く、きりりとつり上がった目は鋭い。全身から立ち上る何か、強烈なものに気圧されて周囲が距離を取る。
見覚えのある顔なのに目に馴染まないのは、バッサリと短くなった黒髪の他に理由はない。
「…っ」
心臓がきゃあと悲鳴をあげる。咄嗟に逃げたくなったがなけなしの矜持で何とか踏みとどまった。
腹に力を込める、奥歯を食いしばる。準備だけは出来た。背中には冷や汗が流れたが。
(は、腹ァ括れ俺…ッ!)
互いに向かって一歩踏み出したのはほぼ同時。真正面から視線を交え、必要以上の空気を肺に取り込んだ。
「すんまっせ、「申し訳ありませんでした!!!」
勢い良く下げた頭と頭。ぶつからなかったのはただ運が良かったとしか言いようがない。
「…あ?」
違和感に恋次は顔を上げたが向かい合った頭は深々と下がったまま。旋毛を見つめられながらの声は続く。
「その…ッ、もう少しで死ぬトコだったと思ったら頭に血が上って、あんな…いえ、兎に角申し訳ありません!!どんな処罰でも」
「いや!や、処罰とか、ちょっと待て、つか俺の方こそ、その、髪」
「は?」
わずかに恋次を見る表情は険しいまま、だが訝しげでもあった。その頬をはらりと黒髪が撫でる。確かに短くなっている、間違いない。
「…怒って、ねぇのか?」
「は。え?怒るって…あたしが、ですか」
何で、と雄弁に語る目にどういう事だと軽い目眩を覚える。
何だ何かおかしくねぇかコレ。何で怒ってないっつか逆に謝られてんだ。
良く考えろと頭を抱えるがちっとも思考が働かない。周りが騒がしくて考えがまとまらない。静かにしろと怒鳴りかけて、漸く周囲の視線を集めまくっていることに気づいた。
「ちょっ、おまッ…こっち来い!!」
慌てての腕を掴んで、廊下のど真ん中から人目の少ない物陰へと走る。好奇の視線から逃れたのは良いが混乱は益々酷い。何か言わねばと恋次が口を開くより先に、阿散井副隊長、と再び固い声で名前を呼ばれた。
「…その、申し訳ありません。本当に」
頭を下げたの、先程より小さな声に嘘はなく、先ずはそこからだと米神を押さえながら恋次はの言葉を遮った。
「ちょっと待てよ…何で俺が謝られてんだ?」
「…何でって」
「お前が、怒ってんじゃねぇのかよ?」
問われてが眉をひそめる。その表情は恋次の質問の意味を本気で理解していない。
「…何であたしが怒ってると思われてんのか分かんねンですが」
「だってホラ、その髪…」
「髪って…短くなっただけでしょう」
だからそれが問題なんじゃねぇのかとは言えず。恋次の混乱を余所に難しい表情では続ける。
「あの時は、顔の真横を刃が走ってって、それこそ髪の毛バッサリ落とされるくらい間近で。あと少しで首落ちてたじゃねーかって…」
ようは、びびって肝潰したんです。
吐き捨てた声は真実己の未熟を恥入る声だった。
「無傷で命助けておいてもらって、肝潰したのすら未熟も良いとこだってのに、逆ギレしてぶん殴るとか…」
語尾が徐々に弱くなっていく。頭も下がって視線は袴を握る自分の手にあった。
「本当に…すいま、「…ン、だよそれは!!」
今度はが目を見張る番だった。
突然頭を抱えてうずくまった恋次に驚き後ずさる。
「俺がッ、どんだけ…!あ゛ーもーやってらんねぇ!」
女の長い髪をぶった切ったというある意味衝撃的な出来事に目を奪われていたが、冷静になって考えてみれば確かにの言うとおりで、咎められるべきは自分ではなく。
だがあれから四六時中頭を悩ませていた問題の結末がこれとは、その脱力感は半端ではない。
溜め息と沈黙と。
ややあって戸惑いながらも、一番最初のぶっきらぼうさを取り戻した声が頭上から降ってきた。
「…処罰は」
「…ねーよ。もう、面倒くせぇ…」
過ぎたことだし、隊をまたいでのあれこれは手続きが煩雑だし、何より処罰を下すような気分では、既にない。
未熟というならその場で冷静に対処出来なかった恋次自身も同じ。あの冷静沈着を信条に掲げる上司ならきっとそう言うに違いない。
「変なやつ…」
耳に届いたのは、思わず漏れたといった小さな声だった。
「あぁ?おめーに言われたかねぇよ、普通髪は女の命じゃねえのかよ」
それを切った奴が言うなと我ながら思ったが突っ込まずにはいられなかった。
「髪なんてほっときゃ伸びるもんだろ…」
脱力したまま見上げた先には、何とも言えない、というの顔。そんな事より、と続く声に嘘も気遣いもありはしない。
「普通他の目の前でよその九席なんぞに殴られてお咎めなしとか、そっちこそ副隊長のやることじゃねーだろ」
同じくそれをやった奴のセリフではない。
再度変なやつ、と漏らしたのはどちらが先だったか。吹き出したのは多分同時だった。
黒髪が頬の隣で柔らかそうに揺れる。短くなったがそれだけだと語る声は、やはりぶっきらぼうだが最初よりずっと明るい。余計な憶測は必要ないのだと、それは恋次に告げていた。
「…あーぁ、気ィ抜けたら腹減ってきたぜ」
そう言えば昼もろくに食べていなかったことを思い出して立ち上がる。今なら人も減って、長くはない休憩時間内だが何かかきこむくらい出来るだろう。
「お前は?もう飯喰ったのかよ」
「や、まだ」
「ならお前の奢りな」
「はぁ?副隊長がたかだか九席にたかんなよ」
「それでチャラにしてやるってんだよ。九席のどころじゃねぇ拳骨の慰謝料と思えば安いもんだぜ」
「ぐ、む。…言っとくけどあんま金ねーからな!」
「分かった分かった。ほら急げ」
「小突くな!」
敬意やら礼儀やらあったものではないやり取りだったが、小気味良く返されるそれが妙に面白く咎める気にもならない。
久しぶりに何のわだかまりもなくかきこんだ昼食は、旨かった。内容の残念さにも関わらず。
2011/01/27
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