ぐぅ、と一つきり呻いて、見知らぬ死神が崩れ落ちた。

「片付いたか」

 恋次の問いに、平淡な肯定が返る。同行者の他に立っている者はいない。素早く斬魄刀を鞘に収めたが道を示し、また駆けだした。
 双極の丘からどれほどの距離を走ったか。
 逃走は拍子抜けするほど順調で、障害らしい障害もない。時折他の死神に出会したが、の露払いのおかげで恋次自身が斬魄刀を振るうこともほとんどない。
 その強さに、改めて何者かと思う。出会す相手がそう強くもない為もあろうが、それもが霊圧を読んで容易い道を選んでいるからに違いない。
 隙が、ない。それが不可解さを一層強くしている。
 何度となく問いただしたい衝動に駆られるが、今はその余裕もない。無機質な冷たい瞳が素直に答えるとも考えにくい。
 が右を示した。

「直に、門が」

 西流魂との境界にそびえる門が、見えるはずだった。示された通り、その角を曲がれば。
 また力を込めた足が、だが、止まった。

「え…」

 声はか、ルキアか。それとも恋次自身だったのか。

「…と…東仙隊長…!?なんで、こんな処に」

 目の前に立ちはだかったのは九番隊隊長、東仙要だった。
 隊長羽織は身に着けておらず、右肩には包帯が巻かれている。反応できていない自分たちの目の前で、一陣の風と共に東仙が舞う。そしての体が傾いだ。

「な」

 赤が飛散した。の肩から溢れる赤。

「…!!」

 左の肩に深々と刺さるのは、東仙の斬魄刀。
 どう、と斬魄刀が引き抜かれてが倒れた。倒れる間際、の口が逃げろと動くのが読み取れたがそれはかなわない。東仙が左腕から白い布を放つ。まるで生きたもののように布が走り、恋次とルキア、そして東仙自身を目にもとまらぬ速さで取り囲んだ。

「な……、何だよこりゃ…!!」

 視界の隅、倒れこんだが白に遮られていく。ルキアが手を伸ばすが、届くはずもない。

殿…!!」

 気味の悪い浮遊感に、ルキアは固く眼をつむった。それしか抗う術がなかった。
だがそれはほんのわずかな時間だった。布に取り囲まれたときと同じく、一瞬にして視界が開ける。土煙が巻き起こり咳きこみながら連れの姿を探そうとしたが、一変した周囲の風景に目を剥いた。

「…何だ…?ここは…」

 遠く目に映るのは、天に向かって高く伸びた二本の杭。見覚えがある。

「双極の丘――…?」

 遠く離れたはずだったのが一瞬にして連れ戻されたということか、隣で倒れていたはずのの姿もない。信じ難い事実に自失している背に、矢鱈と穏やかな声がかけられる。

「―――ようこそ、阿散井君」

 聞き覚えのある声。振り返ったそこには、更に信じ難い事実が立っていた。
 癖のある茶の髪、黒ぶちの眼鏡、そして隊長羽織。隣には別隊の長。

「朽木ルキアを置いて、退がり給え」

 見間違えるはずもない。だが先に自分の目を疑ってしまう。
 そこにいるのは、いるはずのない男。
死んだはずの男、五番隊隊長、藍染惣右介。

「なんで生きて…、いや、それより今、なんて…?」

 目を疑い、耳を疑う。穏やかで静かな、いつもの声と笑みなのに。何が違うのか分からない。いっそすべてか。

「…妙だな、聞こえていない筈はないだろう?」

 まるで出来の悪い子供を揶揄するように、仕様がないと藍染は同じ言葉を繰り返した。本能が危険を叫ぶ。全身の毛が逆立つ。

「朽木ルキアを置いて退がれと、言ったんだ」

 頭蓋の内に、女の声が響いたのはその時だった。
 天廷空羅。四番隊副隊長、虎徹勇音からの緊急伝達。

「……る」

 口の中でだけ呟いた声は、情けなくも震えていた。それが聞こえたのはルキアだけで、相変わらずこぼれおちそうなほど大きな瞳が恋次を見上げる。

「…何?」

 告げられたのは、四十六室の全滅、日番谷十番隊隊長と雛森の負傷、東仙と市丸の裏切り。そして首謀者の名前。

「断る、と言ったんです。藍染隊長」

 左手がルキアを強く抱える。右手が斬魄刀を強く握る。恋次の名を呼ぶか細い声が、聞こえた気がした。
 成程、と呟いた藍染の隣で市丸が柄に手をかける。だが一歩前に出た藍染がそれを止め、ゆっくりと更に歩み寄る。絶えぬ微笑みをその顔に浮かべて。

「朽木ルキアだけ置いて退がるのが厭だと言うなら、仕方ない」

 纏った霊圧が一歩近づくたびに変質していく。己の気持ちを汲むなどと、まるで慈悲だとでも言うかのような声色だった。否、藍染にとっては正真正銘の慈悲に違いなかった。己の足元を這う、愚かで弱い虫に対する一片の慈悲。

「抱えたままで良い―――腕ごと置いて退がりたまえ」

 悪夢ならば目覚めても良い時なのに。身を貫く痛みが、冷徹に現を謳う。

*

 伝達の意思を持つ霊力が空気を震わせた同じくその時。血溜まりに倒れ伏した死覇装が、霊圧にぴくりと反応をみせる。動力の切れたカラクリのように少しずつ、ぎこちなく、流れる血に滑りながら身を起こしていく。
 は、と熱い息を吐き壁に上半身を預ける。薄墨の髪の先を、朱がまだらに染めていた。左肩を抑えた手もまた同様に、血濡れていく。
 死神の視線が霊圧を辿り、真っ直ぐに双極の丘へと定まった。

「…ッ、」

 斬魄刀を杖に立ち上がる。もう一度視線を丘の方へ投げ、そして消えた。血溜まりだけを残して。

2011/01/14







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