09
数日続いた雨の後の、突き抜けるような青空に向かって檜佐木は思い切り胸を反らした。吸い込んだ空気は良い具合に肺を冷やす。
足を向けた先、隊舎裏の一際離れた場所にある修練場には、霊圧が二つ。檜佐木の良く知る霊圧だった。
「おう、やってんな」
声に二人の女性隊士が斬魄刀を下ろした。一人は、もう一人は加治と言う名の下位席官。
「檜佐木副隊長」
「お疲れ様です!」
お前らも、と手にしていた水筒を差し入れだと渡してやる。礼を言って二人ともそれを受け取った。
「どうだ、調子は」
「鬼道は、なんとか。それ以外はまだまだ、正直使い物になりません」
一切の甘さを含めないそれは、自身が己に下した評価だった。
意識を取り戻したはすぐさま四番隊を退所し、隊務に復帰した。とは言え一年の空白は大きく、あらゆる点において完全に戻ったとは言い難い。特に萎え切った身体は多少の訓練で回復するものではなかった。他の者が虚の討伐に出る時間全てを鍛錬にあて、実質の復帰は半ばの現状。
「んー、そうか。頑張んのは結構だけどな、根詰め過ぎるなよ」
加治も付き合いきれないよなぁと後ろに控えたもう一人に苦笑いを浮かべる。
「いいえ、そんな!私が好きでやらせていただいてるんですし!」
真っ赤な顔で否定する加治は、体力の落ちたの鍛錬に良く付き合っている一人だった。奇特なことに前々から「三席のようになりたい!」と公言し、もなりに可愛がっていたのを檜佐木も知っている。一体のどのような点に憧れ目標としているのかは怖くて聞かないが。
「お前…良い奴だなー。にいぢめられたら俺に言えよ!」
「副隊長こそ私をだしにして加治にせくはらしないで下さぁい」
「誰がせくはらだっつーの!」
「あ、あのっ檜佐木副隊長。何か、三席に御用があったのでは?」
不穏な雲行きを察知した加治に水を向けられ、ああと檜佐木はあっさり切り変えて頷いた。
「そーだよ、。ちょっと付き合え」
「何ですか?」
「息抜きだよ、息抜き。ほら、行くぞ」
じゃあ加治お疲れさん、と言ってさっさと背を向ける檜佐木はがついてくることに何の疑問も抱いていないらしい。事実に従わないという選択肢はないのだが、キョトンと加治と目を合わせた。
「おーい、早く来いよー」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ!あ、加治今日はありがとうまたお願いねー!」
はいまた今度という加治の声が聞こえたような聞こえないような。
「もぉ、急に何なんですか」
「だから息抜きだって言ってるだろ。お前焦り過ぎだ」
「…焦んないでどうするんですか。寝惚けてるうちに降格やら除籍なんて、シャレにもなりませんよぅ」
復帰したからには甘えは許されない。そのうちはっきりと、三席相応の力が戻ったかどうか証明せねばならない時が来る。その時に、こんなままでは。
身体は鉛でも仕込まれたように重かった。瞬歩どころか、直ぐ息が上がってまともに走ることも出来ない。
「焦るな」
前を見たまま、静かな檜佐木の声に、はっとは顔をあげた。
「一年寝てりゃ誰でもそうなる。どこも異常なしだって卯ノ花隊長も言ってただろう。ちゃんと訓練すればすぐ戻る、お前なら」
「………でも」
「俺を信じろよ」
俺は一年、辛抱したぞ。
「え?」
「話しかけても何にも答えないお前の傍で一年、信じて待ってたんだ。そんでお前はちゃんと戻ってきた。今度も俺は信じてるさ、お前がちゃんと三席として戻るって」
何だか熱烈な愛の告白のようだと、聞きながらは顔に血が集まってくるのを感じていた。相変わらず前を見たまま、だが真摯な檜佐木の声は乾いた大地に降り注ぐ雨のようにじわりとの胸に沁み入り広がる。
「しんどくてお前自身が信じられなくなっても俺は信じて待ってるから。他の奴らも、皆そうさ」
だから焦らなくて良い。
熱が特に、目の周りを潤ませる。慌ててごまかすように頭を振り、ありがとうございますと我ながら実に素直に口にしていた。湿っぽくなった声に気付きながら振り向かない背にも、心の中でそう繰り返した。
「それで…どこに行くんですか?」
尋ねたのは居心地の悪さからばかりではない。修練場を抜けて少し歩いたが、人気はほとんどない。息抜きとは言ったがこの辺りに何か目を引くようなものなどあっただろうかと、は首を傾げた。
「さて。そいつはお前に聞かねェとな」
「私に?」
「どこにあるんだ、墓って?」
歩きだして初めて、檜佐木が後ろを振り向いた。も足を止めて、目の前の檜佐木を仰ぎ見た。
「お前の、元許婚の墓」
*
「あー。認められましたか、廃嫡」
跡取たるものがいつ目を覚ますかどうか知れぬ状況となり、家名存続の為、家次期当主の権限の一切はからその妹に移譲され、今後戻ることはない。
意識が戻ってすぐ、四番隊詰所の病室で、が告げた知らせにはあっさりそう返した。
「いつですか?」
「お前が意識を失ってから五ヶ月後に」
「…ちなみにその届出自体、もっと早くに出されていますよね」
無言で頷くは無表情だと言うのに、ひどく苦々しげだと檜佐木は思った。檜佐木自身の胸中が正しく苦みで一杯だったからか。
「ご連絡、ありがとうございます。…あっ、でもそうしたら今後何て名乗れば良いんでしょ?只野とか?」
「馬鹿、のままで良いんだよ」
檜佐木の呆れ声にも肯定を示す。
やはり本調子ではないのだなと、その時檜佐木は内心密かに動揺していた。倒れる前のならば、場を取り繕うための下手な冗談など言わなかった。笑えもしない。
若しくは廃嫡の事実は檜佐木の思っている以上ににとり大きな衝撃を与えるものだったのか。仲違いして長いとはいえ血のつながった家族。形式的であっても辛うじて残っていた糸がはっきりと絶たれたのだと思えば無理もない。
そしてまた己も原因の一つかと思うのは、自意識に過ぎるだろうか。
2011/05/07
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