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嫌です。
震える声ではしかしきっぱりとそう言った。顔は一瞬で青ざめ、唇まで震わせて。
「、」
「嫌です。行きません」
一歩後ろへ下がったの腕を咄嗟に掴む。目には怯えと怒りが浮かんでいた。
「教えろと言うなら教えます。でも私は行きません」
「」
「嫌です、行けません」
「そいつの家族に会うかもしれないからか」
「…ッそうですよ、でもそれだいけじゃない」
わずかに驚く。その隙をついて腕を振り払おうとが身を捩ったがさせはしなかった。思わず手に力が入ってしまってその顔が歪む。悪いと思う気持ちが生じたが二度も隙を見せられない。
「どうして行けない?」
「嫌だからです」
「何が嫌なんだ」
「…何で、話さなきゃなんないんですか。副隊長命令だとでも言うつもりですか。職権乱用です、副隊長に言いつけますよ」
こんなときであると言うのに、の言いように思わず笑ってしまう。だがそれが失敗であったことは明らかで、油を注がれたの怒りが一気に燃え上がった。
「いい加減にしてくださいッ、檜佐木副隊長が何と仰ったとしても私は話しません。墓にも行きません」
怒った時、矢鱈言葉が丁寧になる、の癖。
「良いから、話せよ」
「…檜佐木副隊長、意味が、分かりかねます」
「聞いてやるから、ちゃんと」
聞いてほしかったんだろうと言えば、全身の毛が逆立った幻覚を見た気がした。まるで猫だ。
「…そんな事を一言も、言った覚えは」
「大丈夫だから。今度は、ちゃんと聞いてやるし、」
あの時お前が言って欲しかったことも、今ならちゃんと言ってやれるから。
「何言ったって変わんねェさ。信頼してるからよ、三席」
猫が身体を震わせた。
の目からこぼれた涙は大粒の、だが他となんら変わらない普通の涙。これだけ長くとても近くにいて初めてみた泣き顔は子供のように幼かった。
「行きたくないんです本当に。あの人の目の前に立ったら足が動かなくなるんです怖くて。あの人の家族より妹より、他の誰よりあの人に責められるのが一番怖い。自分の行動は全部自分ひとりで責任が取れると思ってた。でもあの人の命は、私の所為で死んだあの人は、もうどんなことをしたってかえらない。どうやって償ったら良いのか分からない。強くなって誰かを守ってもそれはあの人じゃない。例え私が死んだって、あの人は」
「そんな馬鹿なことを考えてんなら、怒るぞ」
が一気に吐き出した胸の内を、檜佐木がぴしゃりと遮った。の方が大きく跳ねる。
「すいま、せん」
「うん。それで?」
「…それだけ、です。怖くて、行けない」
一年に一度、貴族会合の日。その日だけは何としてもと思っていくのだけれど、と涙声がつけ加えた。
「それなら、俺が一緒に行ってやるよ。二人でなら怖くないだろ」
「でも」
「なァ」
死人に口なしだって、お前が言ったんじゃねェか。
泣き続けるの肩に手を置いて、かつてその口から出た言葉を檜佐木は繰り返して見せた。まろい目が涙を浮かべて檜佐木を見る。
「死んだ奴は、何も言わねェよ」
責めも悔いも願いも、感謝や恨みも何一つ。
「そこにあるだけだ。何も言わない」
どんなに願っても。
「死んだ奴らが何を思っていたか。俺たちが知る方法はない」
「―――だから忘れろとでも言うんですか!」
叫ぶや、崩れ落ちるの小さな体。
こんな時でさえ、檜佐木は以前との違いをひしひしと感じていた。以前なら肩にかかる手を振り払ってとんでもない速さで走り去っていたのじゃないか。大人しく自分なんぞに抱えられるなんて許しはしなかったのじゃないか。ああその背もこんなに薄くはなかっただろうに。
「いいや。忘れんじゃねぇよ」
以前とは違う。その違いが分かる。
でもだからこそ、良かったと心から思う。
失われなかった。は生きている、今はまだ。
「忘れるな。死ぬまでちゃんと覚えとけ」
生きてる奴が死んだ奴の為に出来ることなんて、それくらいだ。それすら望まれているかどうか。ただの独り善がり自己満足。
「でも言い訳や理由にするな。お前が今生きてるのは、そいつの為か?」
ふるふる、ふるふると。
首を横に振ってくれてよかった。
「生きてる奴の為に生きろよ。それから…一人で何でも抱え込むな」
何の為に生きている自分たちは、言葉を交わすことが出来る。目を合わせて触れ合って、一人では重すぎる荷を分け合って。一人じゃ決して出来ないことだろう。死者とでは決して。
泣きじゃくるの背を頭をゆっくり撫でてやりながら、やっと一年前のあの日が今と繋がった気がした。
*
そろそろ日の落ちかける墓の周りに人影はなかった。墓守りも。
上級貴族の名に相応しく大きな構えのそこに、そこいらで摘んだ名も知らない小さな花。お粗末な供え物の代わり、長く手を合わせた。
「…やけに熱心にやってましたけど」
兎のように真っ赤なの目は、夕陽の所為ばかりではない。
「何、言ってたんですか?」
あの人に。
ちらと振り向いた先には小さくなる墓。少しばかり迷いながら、答えた。
「の面倒は俺がちゃんと見てやるから、お前は心配すんなって」
「………なんですか、それは…」
紅から黒へ。視界が移り変わるのはあっという間。足元がおぼつかないかと差し出した手に、の手がごく自然に重なった。
「私は、そんなに弱くない、ですよ」
「知ってる。んでもってそこまで強くもないってのもな」
握った手に力を込めて引いてやる。ふるえながらも答えるのそれ。
「それくらい、分かる。何年一緒に組んでやってきたと思ってるよ」
「覚えてないですよ。そんなの」
「忘れても問題ねェよ。これからも、…生きてるうちは上手いことやって行こうぜ」
ありがとうございましたの声はまた震えて聞こえたが、確かめる必要はない。
ここから九番隊の隊舎まで、そう遠くはない。歩くうちその光が見えてくる。
「帰るか」
戻るべき場所、誇るべき場所へ。
「帰りましょう」
自分たちが今を生きる場所へ、一緒に。
2011/05/07
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