08
檜佐木の右腕から完全に包帯が取れたのは一月後。の全身から全ての包帯が取れたのはそれから更に三月後。
卯ノ花の見立て通り、傷は綺麗に治った。今すぐ起きだし、話し、剣を振るっても何もおかしくないほどに。それなのに意識だけは。髪も爪も伸びるのに、目だけは覚まさないまま、時は流れた。
「京楽隊長は、ご存知だったんですね」
美しい雪化粧の施された庭を目の前に、檜佐木はぽつりとこぼした。
瀞霊廷内で雪が積もることは珍しい。現世ではないがここ数年は比較的暖冬で、久方ぶりの積雪に折角だから雪見酒、と招かれて訪れた雨月堂には主の浮竹をはじめ数人が集まって酒を飲み交わしていた。
「…君は、まだお仕事かい?」
隣で同じく雪の庭を眺めながら酒を舐めていた京楽は、檜佐木の呟きが聞こえなかったように、てんで見当外れのことを尋ねた。
「わざわざ代わってくれたんスよ。本当は俺が夜番だったのに」
流された言葉を、檜佐木も追わず、京楽の問いに答えた。
「そりゃお優しいことだけど…」
「ええ。あいつ苦手ですからね、こういうフーリューなの」
「粋じゃないよねェ、君ってば」
「っていう理由をつけて折角の酒を譲るくらい、元気なさそうに見えたんですかね、俺は」
しばし沈黙が、二人の間に流れた。音もなく静かに降り積もる雪を愛でる場であるから、誰も彼もそう騒ぎはしない。
とっとっと。
酒が空気を含みながら猪口に注がれる音が聞こえる。各々手酌であることは、もう互いに意識にも上らせていなかった。
「家同士の付き合いが、さほどあるわけじゃないけど」
積もった雪の重みに耐えかねて、細い枝がしなる。落ちる雪の音もまた一瞬で消える。
「あの子はほら、跡取さんだったからさ」
浮竹も知っている、と京楽は手にしていた猪口を彼の人のいる方へ掲げてみせた。
「あとは多分、朽木君も知ってるんじゃないかな」
なにも意外なことではない。そう言い聞かせなければ手にした繊細なつくりの猪口が嫌な音を立ててしまいそうだった。
「でも、お家の人と上手くいってなかったってのは、僕くらい。知ってたの」
それから、前九番隊隊長。
そうでしたか、と答えるのが精々だった。
雪はまだ降り続いている。明日には止むであろうが、寒さが和らぐのはまだ先。この雪はいずれ融け、緑が芽吹き花が咲き、紅に染まった葉が落ちてまた寒さが身を包む。
それが永遠に続くものだと、誰が約束しただろうか。今日の明日が変わることなくまたやってくると、一体誰が。
「誇りですって、いつも言ってたよ」
螺旋を描いて落ちていこうとする思考を、京楽の一言が押しとどめた。
「九番隊第三席、死神の。それが私の誇りですって」
京楽の前でがどのようなものであったか檜佐木が知る由はない。だから檜佐木の頭の中でそう、誇りだと、高らかに名を名乗るは、いつもの通り自信に溢れ仁王立ちで偉そうな、毒をたっぷり含みながら艶やかな笑みを浮かべる、檜佐木の良く知るだった。
「東仙隊長の下で、檜佐木副隊長の支えとして、剣を振るう。私が勝ち得た至上なんですって、ね」
東仙隊長と、声にならない声で檜佐木は呟いた。もしかしたら声に出ていたかもしれないが、雪にのまれて誰の耳にも届かなかった。
が至上と言ったひとつは失われた。残りのひとつたる自分は何も知らなかった。自身が知らないでいて欲しいと黙っていたことではあるけれど。
早く目を覚ますと良いよね、と京楽が言った。ちゃんと一緒にお酒飲むの、楽しいし。
檜佐木ははい、と応え、目を閉じた。雪の白さが消える。
その目を開いて閉じて。また開いて。
時は瞬きほどの早さで移り変わっていったように、檜佐木には思えた。
雪が融けたかと思えばすぐ梅、桜のつぼみがほころび、おっつけ緑が溢れかえり。それらの変化をまるまる一巡分、は見ずに過ごした。
貴族会合はその年も、騒ぎなど何一つ起こることなく終わった。
恐らく許婚だった男が死んでからずっと、欠かさず続けていただろう、一年に一度だけの墓参り。聞かされた名前は忘れていない。場所を探して代わりに、と考えたが、正しくないような気がして止めた。突然見知らぬ男が現れては、参られた方も驚くだけだろう。
およそ一年分伸びた髪を白い寝台の上に流し、眠るの顔はまるで作り物めいて見える。元が整っているだけに尚更。血色が良くて餅みたいだなァと笑った丸い頬は今、随分と小さくしぼみ、青白い。そっと手を口元に持っていき、微かな空気の流れを感じて胸をなでおろす。訪れる度繰り返す動作。
それから細々と、色んなことを話す。
隊のこと。や他の部下のこと。街のこと、友人のこと。
聞こえていないような気がしなかった。いつでも目をつむって大人しくしておきながら、内心ではいはいと相槌を打っていそうな。
こうしてわずかな時間でも病室に通う檜佐木に周囲は何も言わない。元より檜佐木自身の空いた時間をどう過ごそうと檜佐木の自由であるから、迷惑をかけさえしなければ誰も問題にしない。―――などと、無味乾燥なばかりではなかった。皆心配している、のことも檜佐木のことも。
の病室に花が途絶えることはなかった。檜佐木が訪れた時出ていく時、他の誰かと顔を合わせることも少なくなかった。眠るの隣で明るい話ばかりして、そして去っていく時は必ずどちらをも気遣う言葉を残していく。
「まぁ、俺もお前も幸せ者だよな」
いつの間にやら副隊長の肩書に違和感のなくなった。互いに競いながら研鑽を積む部下たち。
「寝てたって大丈夫みたいだけどよ」
三席を欠いて、だが隊務はこなされていく。流石にこの一年の逃亡はなりを潜めているから、変に気をもまされることもない。そろそろ怪しいとは思っているが、今なら例え奴が二、三日消えても何とか支障は出さないで済むだろう、とも。
「……でもやっぱ、物足んねェんだよな」
お前がいないと。
永遠などないと分かった。絶対は、ない。どんなことでも。
それでも、
「俺の補佐は、お前が良いよ」
皮肉屋でしっかり者の、お前が良い。
お前の上官だって、俺でなけりゃ駄目だろう。お前みたいなじゃじゃ馬、東仙隊長だけじゃあ絶対手に余るだろうよ。
九番隊じゃなけりゃ、駄目だって。
俺とでお前の手を借りて、下の奴らをお前や保科たちがキリキリ締め上げて、それで九番隊。そうだろう。そうだった、だろう。
お前が勝ち得た至上で、誇りだろう。
「だから早く起きろよ、」
長くなった前髪が風にそよいで顔にかかる。脇によけてやれば、その顔は穏やかに笑んでいるようにも見えた。
「起きろよ。、」
こんにちわ、檜佐木副隊長と入口から声をかけた四番隊の女に挨拶を返して、檜佐木は病室を後にした。後はどうしようかと肩をまわしながら考える。腹が減ったからとりあえず飯を食って。最近机仕事ばかりで身体が重いし、恋次でも誘って軽く暴れようか。ああでも洗濯するモン溜まってンだよなァ。一人身はこれだからいけない、相手してくれる良い女がいないもんかな。寂しいよなァ。
寂しいなァ。
「…、檜佐木副隊長ッ!」
背後から高い声が自分の名を呼んだ。先ほどの、四番隊の女のものだった。立ち止った元に、何やら酷く慌てた顔で走ってくる。
ちょっと可愛いかも、小さくて。と頭のどこか呑気な部分がぼんやり考えていた。
「三席が」
声を震わせ目に涙を浮かべた女をほっぽり出していくなんて、したことがない。考えたこともなかった。
「目を」
―――俺は寂しかったよ。
これ程慌てるなんて何年ぶりだろうか。足がもつれるなんて、もうどんな虚を前にしてもなかったことだった。
―――寂しかったよ、お前がいなくて。
転ぶようにして飛び込んだ病室で、物言わぬ塊だったが身じろぎをした。がさがさで小さな声が一言、五月蝿いですと言った。そして名前を呼んだ。
今だ夢の中にあるようなまろい目に俺が映し出される。それのなんと、泣きたくなることだったか。
お前は分からないだろうなァ。
2011/05/07
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