青い空は良い。曇りや雨よりよほど。
 昼間っから大の字になって見上げるなんて贅沢、なかなか出来ないからこそ価値がある。ただ、惜しむらくは後頭部の鈍痛。あと鳩尾と顎。

「大丈夫ッスかー、阿散井副隊長」

 それから間近から覗きこんでくる、三つ角のこの顔。

「……真上でヤニ吸わんで下さいよ」
「苦手でしたっけ?」
「灰が落ちるでしょうが」

 煩わしげに煙を手で押しのけて起き上る。と、頭と腹にまた痛みが走り唸る羽目になった。

「大丈夫みたいッスね」
「どこが…」
「一応加減されてるみたいですし」

 顎も腹も、何気に。

「あんだけキレーに入ってこの程度で済んでるってのはそういう事でしょ」

 後で腫れるでしょうけど、と言いながら無遠慮に顎の状態を検分し始めた男、阿近に別段からかうような様子はない。どちらかと言えば呆れの方が色濃いか。

「この程度って…これがかよ…」

 明確に捉えられた人体の急所。特に顎など、口を開く度酷く痛む。

「くさってもうちの九席ッスよ」

 割られなかっただけマシでしょーが。
 さらりと恐ろしいことを言われて、しかし事実なだけに返す言葉が見つからない。割られかねない原因を自覚しているが故に、理不尽と訴えることもできない。

「………怒って、ます?」
「トーゼン」

 はン、と鼻で答えられて思わず頭を抱える。聞くまでもない、怒り狂っていると言っても恐らく過言ではないだろう。
 雛森たちに背を押され、腹を括って十二番隊を訪れた自分を目にするや、かの第九席は恋次の顎と鳩尾に華麗なワンツーを決めて遁走したのだった。流石と言いたくなるような見事な逃げ脚に、何か言う暇もありはしない。

「この間からこっち、使いモンになりゃしねェ」

 が、続く言葉に違和感を覚え顔をあげたところへ、どこから湧いて出たかわらわらと集まるのは十二番隊、及び技局の面々。恋次に向かって一斉にピーチク喚きだす。

「あいつマジで腑抜けっつーか」
「心ここにあらずどころか魂抜けちまってますよ、あれは!」
「貴重な試薬ぶちまけるわ折角入力したデータもお釈迦にするわ」
「怪我治してって言ったら逆に患部焼かれました…」
「何とかして下さいよ、阿散井副隊長!」

 あんたの責任でしょう、と取り囲まれねめつけられ、またしても反論の余地なく縮こまる。

「いや、その…何とかしてーのは山々なんだけど、よ、」
「そんならさっさと追いかけて下さいよ。多分隊舎裏のどっかにいますから」
「ちゃんと気配消していかないと、また逃げられちゃいますよ」
「今度逃げられたらもー知りませんぜ、俺ら」
「ちょ、ちょっと待て!」
「何スか、もー」
「この期に及んで尻込みですか?」
「男らしくないッス」
「違ぁぁぁ!!そーじゃなくて!」

 面倒くさそうな表情の集団の中、一際つまらなさ気に頭を掻く男に向かって、恋次はためらいがちに、だが真っ直ぐにその眼を見据えて言った。

「…良いんスか。俺が、何とかしちまって」
「は?」

 阿近の咥える煙草が、声を発するのに合わせて上下する。

「俺ァ本気ッスよ」

 ここまで来て、最早後に引く気はない。相手が誰であろうと、勝ち目が全くなかろうと。そも玉砕覚悟ではある。だが、何を言うつもりであるかは見れば分かるハズ。それを止めないという事は、万に一つも可能性はないと思われているのか、自分たちの関係は揺らがないと自信の表れか。

「…はぁ。それは、それは」

 ご馳走様ッス。
 小馬鹿にしたようなセリフと肩をすくめる仕草に、カッと血が頭に上った。

「あんた、それで良いのかよ!」

 阿近の胸元を掴んで詰め寄る。殴られた部分が鋭く痛んだが無視した。

「良くない理由なんざ一つも思いつきませんが」
「ンなわけねーだろ、何で止めねぇんだよ!」
「だから止める理由がありませんって…」
「止めろよ!あんたアイツの男だろーが!!」
「何っ馬鹿言ってんだこのど阿呆ーーー!!」

 後頭部、まだコブも治まらないそこを襲う衝撃。目前に星が輝いた。

「おおおお前は何ッッてこと言ってくれてんだこの勘違い野郎のすかぽんたんの赤毛猿ぅぅ!!」

 再度倒れ込む前に胸元を掴まれ馬の首よろしく激しく揺さぶられ、

「おい…落ち着けよ、…」
「これが落ち着いてられるかっつーかどいつもこいつも笑い堪えてんじゃねェや分かってんなら誰か止めろよ畜生!!」
「お前こそ止めりゃ良かったろうが。コソコソ隠れて盗み聞きしてんじゃねェよ」
「あんたらが群がってる所になんてのこのこ出ていけるかァ!」
「分かった分かった…。それよりもいい加減にしねーと、落ちるぞ?」

 ギリギリと締め上げられる首元。その上の顔は既に青い。

「知るか!むしろ落ちろ!阿散井この阿呆ッッ阿散井の阿は阿呆の阿だ!!」

 ならば阿近の阿はどうなる、とはその場にいた全員が思ったものの、口に出せる猛者はいなかった。

「あー…聞こえてます?阿散井副隊長」

 最早呆れたというか飽きたというか、淡々と阿近が横から口を挟む。

「何でそういう結論に至ったかとか全然分かんねーし分かりたくもないスけど、取りあえず俺はこんなちんくしゃに手ェ出した覚えはありませんから」
「誰がちんくしゃ!?あたしだって阿近さんみてーなマッド、御免ですよッッ」
「でも男日照り長ェだろ、お前」
「やっべ、俺ら狙われてる?」
「うるせぇ研究オタクども!頼まれたって手ェ出すか!」
「人見知りの本馬鹿が言えたご身分かよ」
「阿散井副隊長も物好きですよね」
「まぁ多少思考迷子ではあるが、お前にゃ勿体ねェ良物件だぞ。もらっとけもらっとけ」
「なッ」
「憎からず、なんだから別に構わねェだろ」
「構うわ!」
「なら嫌いかよ?」
「嫌いとかそういうんじゃ…ッ」

 言い募りかけたの腕をがっしと掴むものがある。油の切れたカラクリよろしくぎこちない視線が正面を向く。

「…勝手に話進めてんじゃねーよ…」

 後頭部も顎もズクズク痛むわさんざ揺さぶられて脳みそも良い具合に回るわ、昼食べた物が逆流してきそうなほど最悪の心地だが眼光だけは鋭く、目の前にいるのは永年の敵とばかり睨みつける。
 敵と言えば確かに敵には違いない。難攻不落の城を落としに来たのだ、自分は。

「嫌いじゃねェなら、どーなんだよ」

 城の外堀は、さっき落ちた。正々堂々とはとてもいかないが、最早そんな事に構う余裕はない。小綺麗に収まる必要もない。搦め手だろうが反則だろうが、そんな事はどうでも。腹を括った男を舐めるなよ。

「なァおい、

 名前を呼んだ途端、染料に浸した衣も斯くやの早さでその頬も耳も真っ赤に染めあがる。腕を掴んでいた手に思わず力が入る。

、」
「…ぅ、ぅうううるせぇぇこンの、阿呆恋次ィィ!!!」

 三度目の制裁、頭突き。
 目から火花、は決して誇張ではない。

「お前は、もう本当に…ッ色々全部駄目だ最初ッから全部やり直せむしろ生まれ直せ!!」

 これ以上ない駄目出しに加えて豆腐の角に頭ぶつけて死んじまえと実に頭の悪そうな捨て台詞と共に、三度消えるその姿。去り際、思い切り投げだされた後頭部をしこたま打ちつけ、悶絶。

「あーあ、またか」
「面倒臭ェなあ」

 仕事がすすまねぇよ、などと言いながらニヤニヤ笑いを自重しない面々にいい加減腹も立ったが、痛みをやり過ごすのに必死で精々睨みつけるぐらいしか出来ない。

「つー訳で、さっさとやり直ししてきて下さい、阿散井副隊長」
「は、」

 思わず間抜け面を晒してしまったのには頓着せず、自重しないニヤニヤ笑い共はさぁさぁと己を引っ張り起こすやまたピーチクやり始めた。やれ何処其処に行っただのやれ花でも持ってけだのあいつ案外乙女か、だの。

「ちょ、なん??」
「仕切り直しを要求、らしいですから」
「大丈夫大丈夫、あれなら直に落ちます」
「要するに戦略ですわ。上手いことやって下さいや」

 場所とか人目とか、あと順番とか色々。

「まぁ実際、アレ相手にゃ下手な策ねるよりも直球攻撃の方が有効だとは思いますが」
「鈍いですもんねェ」
「鈍いというかあれだろ、現世で流行ってるっつー…」
「あー、つんでれ、とかいう」
「あいつのでれとか見たことねーよ。つんしかないだろ」
「は?つん、でれ?」
「イヤイヤこっちの話で」

 兎も角早く行け行けと消えていった方角へ追い立てられる己の視線があの、三つ角を捉え、

「…まぁなんです、万年人手不足だしあんまり腑抜けられてちゃ困るんスよ」

 ―――くさってもウチの九席ッスから。

 一回手ェ出したモンは最後まで面倒見て下さいと内容は素っ気ないクセやたら凄みのある声は、激励というよりも爆弾じみていた。
 何だこれ此奴等完全に面白がってたくせにここに来て今更刺々しい視線の見送りとか!戻ったらアレか、娘さんを俺に下さいとかやれってか畜生なんだそりゃ。イヤそれより何よりまずはアイツを探さねば。首洗って待ってろこの野郎いざ尋常に、改めて、勝負、勝負!何遍だってやってやろうじゃねェか上等だッ!!


<完>

2011/04/30







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