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扉が開く。触れもしないのに、独りでに。中は闇が広がっていたが、踏み入れる足に用心はあっても躊躇はない。
二、三歩進み体が完全に中へ入ると、扉がまた独りでに閉じた。別段速くはない。出ようと思えば十分可能の鈍重さ。だが如何にも重たげな閉鎖の音にも最早何の注意も払われなかった。
空間が閉ざされると同時に、明かりがまた灯る。光源がどこかは定かでない。ぼんやりと広がっていく光は弱く、空間全てを明らかにすることも叶わず残す闇を更に深くしていた。
「やぁ、来たね」
その闇が言葉を発した。続いて硬質な足音。白い装束をまとった男が一人、闇から姿を現す。続いて二人の男。かつて死神として多くの同胞の信頼を得、それを裏切という形で棄てた男たち。市丸、東仙、そして藍染。
「ようこそ、」
優雅さの感じられる声が、侵入者の名を呼んだ。
霊圧はとりわけ強くは感じられない。それこそ異様と言えば言える。
「回路操作をしたから大した距離ではなかったろうが、手間をかけさせたね。君とは邪魔の入らない処で話をする必要があると思ったものだから」
他と道を別ってくれて良かった。
「さぁ、かけてくれたまえ」
あちらに、と据えられていた椅子と卓の一揃えを示したが、それは瞬きの間に消えた。刃を返す音。
「―――断る」
お前と卓を囲みに来た訳ではない。
藍染たちと対比して黒をまとうがいた。冴え冴えと声が空間に響く。抜き身の刃から生まれ、周囲に満ち始める白い靄。
跡形もなく消えた一揃えを見やって、藍染は視線をへと戻す。僅かに首を傾げた。
「…まだ、思い出してはいないようだな。その様子では」
藍染の後ろで市丸が不服そうな声をあげ、肩をすくめた。
「思い出しといてて言うたんに、しゃあないなァ」
「黙れ。俺は交渉をしに来たのではないと言った」
白い靄が空間を包んだ。前後も左右も失うほど濃い靄はねとりと重い。定かな形もないそれが四肢の自由を奪わんと藍染たちに絡みついていく。
ばんかい、と唇が動いて。
白靄が獣になった。赤い目、太い牙。
「餓果、絶虎」
の姿が消えた。
「―――ッ!」
靄の獣が藍染のいた場を後ろから喰らった。だが、そこに藍染の姿はなく。
「小手調べの、つもりか?」
声は先程のいた場所から。
ちょうど位置を取り替えた形となった事の流れは、到底目で追える速さではなかったが。
「こんなものではないだろう?君の力は」
ふるる、と獣の喉が鳴った。び、びッと空気の振動が東仙の頬を掻き市丸の衣を切る。
「我々も、」
いっかな笑みを崩さない藍染。控えた二人も手を出す気配はおろか微動だにしない。
「何の理由もなしに君を迎え入れようと言うのではない。君には我々の陣営に加わるに足る力と―――罪がある」
言って藍染は唐突に、へ背を向けた。獣の牙が喰らいつく機会を窺っているなどとは微塵も思っていないような、悠然とした背中。だが無防備でも無関心でもなく、あるのは余裕のみ。
「忘却とは幸せな能力だ。そうは思わないか、」
声には憐れみがあった。
「忘れるからこそ生きていける。けだし至言だな」
「勿体ぶるな。何を忘れていようと、何を知ろうと、お前が敵であることは変わらない」
肩越しに振り返った表情にもまた、憐れみが。否、蔑みが。
「…全てを知ってその後も、同じ事が言えると良いのだが」
来なさい。
闇に向かって藍染が声をかける。何もなかったそこに口が開いた。ただ、小さな口。
空間に満ちるの力に埋もれてしまうほど小さく脆弱な何かが一つ、陰に身を隠していた。
「大丈夫。恐れることなどない」
宥めるような藍染の言葉に漸う、それは陰から足を踏み出した。本当に小さく、弱く、霞のように捉えどころのない霊圧。
「―――…な、に」
カツッと軽い足音をたてて藍染に走り寄ったのは小柄の子供―――の、破面。
ネルという名の同族を連想させるがこんな所にいるはずもなく。第一同じなのは小柄である点だけで、性別からして違う。ネルは少女で、現れた破面は少年。ネルは緑の髪をしていたが、少年のそれは薄く淡い、灰色だった。を見上げる瞳も同じ色をしている。馴染みのある色だった。
「思い出してきたん?」
市丸の声が靄を越えて響いた。
はらりと視界で揺れる自身の髪。薄く淡い灰色の、全く同じもの。その長い前髪の向こうでぶれ始める瞳もまた、小さな破面と瓜二つで。
「君の食べたん、この子やで」
君の、弟クン。
割れた仮面は顔の下半分、鼻と口元を覆う。紛れもない、死神の敵の証だった。
2011/03/20
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