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あ、と声をあげてしまい、次の瞬間大いに悔いたが既に遅かった。荒涼とした浦原商店の地下勉強部屋。夜も更け全員が引き揚げているはずのそこに、ルキアが見つけてしまったのはだった。捉えにくい霊圧の所為で見落としていたらしい。
ルキアの声に振り向いたと視線まで合ってしまっては、今更気づかぬ振りなどできる筈もない。
「……井上を、見られませんでしたか」
依然連絡のつかないのが心配で、戻って来ていないかと心当たりを探しているのだが。
「いえ、ここには」
首を振られて落胆した。ちりちりと焦燥が胸を騒がせ始める。嫌な予感がした。
およそ一月ぶりの破面の襲来。唐突に現れ唐突に去って行った、その狙いが分からない。こちらの戦力を少しでも削いでおこうとしたのにしては腑に落ちないものを感じる。確かに一護などはかなりの深手を負ったが治らない傷ではない。他も同じく。
「…傷は、もうよろしいのですか」
もまた軽くはない傷を受けていた。その証に死覇装の下には白い包帯がのぞいている。
「支障ありません。朽木殿は」
また失敗を犯したことにルキアは気づく。
名前は駄目だ。名前を呼ばれると、どうしても脈が上がる。
「私も、大事、ありませぬ」
これほど苦しいのに、何故尚も近くにいたいと思うのだろうか。
井上の言うように嬉しいと思う感情がそもそもの始まりなどすれば、苦しいばかりのこれは当てはまらない。だが同情だと言われれば、ルキアの胸は否定の声をあげる。
「…今晩は、ここにおります。門が開けばすぐにも知らせます」
だから戻れと暗に言われて、滑稽なほど簡単に傷つく自分がいる。
同情ではない。同情ではこんなにも、骨は啼かない。
「私は…ご迷惑、ですか」
自分で言った言葉にすら悲鳴があがった。逃げたい。だがから逃げることは出来てもこの思いからルキア自身が逃げることは出来ない。ならばせめて告げたい。同情など、そんなものではないと真実を。
俯いたルキアの旋毛に、静かな言葉がかけられた。
「……朽木殿には、申し訳なく思っています」
また、そんな事を言う。この男は。
「気にするなと言うのが無理のある話だとも、重々承知しているが」
わずばかりルキアを気遣うような気配を滲ませて、
「先に言った通り、他の足を引っ張るような真似だけはしないとお約束致します」
お為ごかしを。
「違う…ッ!」
「…違わない」
恋次と同じ程の高さからルキアを見下ろす視線には憐れみにも似たものが込められていた。違う、憐れみなどルキアにもにも相応しくない。そんな遠い感情ではない。
「違う、私は貴方の力になりたい。一人で苦しんでほしくないッ」
「それを同情と言わずして、何と?」
「違ッ…」
言葉はどうして、こんなにも不自由なのか。一体どこの誰ならこの思いを正確に伝えることが出来るのだろうか。
「…有難くないとは言わない。だがこれ以上はいらない」
自分は一人で良い。誰も何も、いらない。
「俺が愚かな姿を晒したが故、同情とそれを取り違えただけだ」
―――事が終わればすぐにも気づく。
耳が痛い程の沈黙が流れた。俯いて去る気配のないルキアを見下ろしていたが背を向け遠ざかろうとした、その気配にルキアの感情の堰は決壊した。
ぱちりと、駒の表裏が返るように。
ふざけるなと。
「…ふざ…ッけるな!!!」
渾身の力を込めて空を切った足はものの見事にの右に。さしもの大の男も完全なる不意打ちに膝を折った。
「な…」
「いい加減にしろッ、この、大たわけが!!」
全身が怒りでかっかと熱を発し始めてている。眉間から米神にかけて、とんでもない速さで血が巡る。
「苦しんで、ほしくない!助けたい、一人でいてほしくない、傍にありたい…!!こんな、面倒で、ややこしくて苦しいものを…ッ同情などと簡単に済まされてたまるか!!」
「それ、は」
「黙れッ、貴様の詭弁はもう聞かぬ!」
一度溢れだしたら止まらないのは水も言葉も同じこと。礼儀も気遣いも最早頭から綺麗に吹き飛んで。それでもなお形のままぶつけられない思いがもどかしい。
「貴様が決めるな…ッ」
言葉が、枷になる。
「私の…っ、私の思いだ!貴様が勝手に、名前をつけるな!!」
はッ、と荒い息がルキアの口から吐き出された。興奮に顔は赤く、手も足も震えていた。殴りつけたいと訴える拳を必死に押さえつける。
もう良い、もう何も聞かない。聞いてたまるか。ルキアは決意した。決めてしまった。
「全てが終わった時には、覚悟していろ。私と貴様のどちらが正しいか、思い知らせてやる!」
完全に悪役の捨て台詞を投げつけ、まさしく目にも止まらぬ速さでルキアは姿をかき消した。後に残されたは、しばしそのままルキアの消えた方向を見るともなしに見ていたが、
「―――これは、これは」
背後からの声に飛び起きた。
「キョーレツ、じゃのぉ」
「キョーレツ、ッスねェ」
岩影の向こう、馴染みの声が二つ。
「向こう百年は忘れんぞ」
「忘れようったって忘れられませんよ、これは」
にやにやと、実に愉快そうに顔をゆがめた夜一と喜助がひょっこり姿を現した。
「……二人とも……」
一体いつから、と口の中での呟きはきちんと二人の耳に捉えられて、わざとらしく喜助が手をあげる。
「おんやァ、もしかしてサン。アタシたちがいること気づいてなかったんスか?」
額に手をやったに、一層夜一の笑みが深くなった。この男がまさかこれほど近くにいた自分たちの霊圧を見過ごすとは。
「これは、なかなか…興味深いのぉ」
「はてさて。今後に期待!ですね」
もう知らぬと地下勉強部屋からが出ていってもなお、夜一と喜助のにやにや笑いはしばらく治まらなかった。確かに向こう百年、きっとそれ以上も忘れられるものではないだろう。あんなにまで、圧倒されて呆気に取られて口を挟む隙すら見つけられなかったあの男の姿など。
2011/03/10
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