22

 王鍵とは、まさしく王へと繋がる鍵。
 王とは、尸魂界を統べる絶対者。
 藍染の目的はその王鍵を手に入れることだという。王鍵を手に入れ、尸魂界で最も大きな存在に会って。
 ―――それでどうするかなど、井上には分からない。王という存在自体、自分にとっては現実味のないもので、知識はあっても想像することすら難しい。
 それよりも重要なことは、この空座町が消されてしまうということ。井上の大切な、友人や学校や、全てがなくなってしまうかもしれないということ。
 教えられた事を知らせるため、井上は一護を探した。彼は、強い結界に隔てられた空間で、見知らぬ人たちと剣を交わしていた。井上の話を聞いて、一護は頷いて、力強く頷いて。
 自分も戦おうと、思った。彼の為に、大切なものの為に、自分自身の為に。この手で守ってみせると。
 だが。

「足手纏いだと、言ってるんスよ」

 喜助の口から出てくる言葉を否定する材料はひとつもなかった。
 多少普通の人と違う力があるだけ。あんなに強い一護だって勝てない相手に自分なんかが適うわけがない。それどころか足を引っ張ってしまう。
 役に立てない。力になれない。
 突きつけられた事実に足が震え、耐えきれず喜助の店を飛び出した。そこで鉢合わせしたのは、ルキア。

「―――井上?」

 どうした、何をそんなに。
 何でもない声が胸を刺して、気づく間もなく井上は小さな子供のように泣き出していた。多分それが限界だった。
 目の前で泣きだした自分に大層慌てただろうに、ルキアは話を聞いてくれた。それだけで随分と落ち着いた。

「浦原の奴め、そんなことを…」
「ううん…これで、良かったんだよ…。あたしに力が足りないのはほんとの、」
「良くない!!」

 怒鳴られて驚いた。けれど、嬉しかった。我がことのように憤ってくれるその真摯さが。だから甘えて泣きごとも言ってしまった。
 力が足りない。尸魂界でもろくに役に立たなかった。そんな弱音をちゃんと、否定してくれた。

「尸魂界での戦いで足手纏いになったものなど一人としていない。一護も茶渡も石田も、…そして井上、お前も」

 誰か一人でも欠けていたら、今の私はここにはいない。
 ルキアの言葉に、やっと止まったはずの涙がまた溢れてきてしまったけれど、それでもやっと笑うことが出来た。打ちのめされていた自分の背を支えてくれたことが、本当にうれしくて。心がふにゃふにゃと柔らかになって、だからついぽろりとしてしまった。

「…ねぇ、朽木さん。朽木さんは…その、好きな人っている?」

 言ってしまってから何を急に、と自分で恥ずかしくなった。だが同じ性のルキアなら、他の誰より分かってもらえるのではないかと、分かって欲しいと、井上は今ばかりは甘えを自分に許した。見るからに疑問符を顔に浮かべたルキアに、付き合わせて悪いかなとも思うが。
 あんまり急に浮き沈みしたから、変にハイになっていたのかもしれない。

「…正直、私にはまだ良く分からんが。どうなのだろうな、人を好きになるということは」

 そんな井上の内側を察してか、ルキアは苦笑しながら応じた。付き合ってくれると、了承の意と解釈して井上は続ける。

「うーん…あたしにも上手く言えないんだけど、その人のこと考えると嬉しくなる!」

 暖かな陽色の髪、大抵しかめ面だけれど、たまに見せる笑顔がとても素敵だと思う。優しくて、ひた向きで、強くて。

「今何してるのかなァとか、今日は挨拶できた!とか、明日もまた会えるかなァとか、」

 浮かれる原因は、我ながら本当に他愛ない。けれど、

「…凄く凄く好きになると、ちょっと変わるんだね」

 唐突に温度を下げた井上に、ルキアが訝しげに首をかしげる。

「嬉しくなくなるのか?」
「…悲しく、なっちゃう時もあるんだ。私、全然黒崎君の力になれなかったし、怪我して落ち込ませたり…朽木さんに…その、ヤキモチ、焼いたり、とか」
「井上」

 これには本当に驚いたようで。元から大きな目が一層大きく見開かれた。

「朽木さんのこと好きなのに嫉妬する自分が嫌になって、ぐちゃぐちゃになっちゃった、けど」
「…けれど?」

 煌びやかな金髪の人が思い浮かんだ。少し不安そうな、小柄な黒髪の人を見た。
 大丈夫、それも自分。受け入れられる。
 大切な仲間。大切な人。確信をもってそう言える。

「ありがとう、朽木さん!」
「………は?」

 ぱしぱしと瞬きの音まで聞こえそうな大きな目。可愛いなァなんて、本当は自分の兄や両親より年上の人相手に不遜な気もしたが、可愛いものは可愛いのだから仕方がない。

「……まァ、良いが」

 ニコニコと笑う井上にとりあえず悪い感情はないとだけ理解して、ルキアは追及するのを止めた。井上の脳内がちょくちょく暴走する現象について、知らないわけではない。笑顔が戻ったのなら、それで良いだろう。

「…大丈夫だ、一緒に探そう」

 決戦の時に向けて、出来ることが。
 まだ少し涙のあとの残る頬にそっと、ルキアの手が添えられた。井上とは異なる種の温度であっても、それは確かに同じ時間を共有していると分かる。

「うん…!」

 力強く頷いて、しかしもう一度礼を言うことは叶わなかった。
 とてつもない勢いで、井上とルキアの間に飛び込んできた何か。人。

「な…!?」
「ひ、ひよ里ちゃん…!?」

 どうしてと問うより先に、小さな体からは想像できない力で引っ張られた。気づけば空を弾丸のように飛んで、井上はあっと言う間に先程一護と会ったあの倉庫の前に連れてこられたのだった。

*

 …良かったのだろう、まぁ。
 何だかえらく色々とあったがと、井上と別れてその帰り道、苦笑しつつもルキアはひっそり安堵の息を吐いた。
 一護の行方が分かった。
 己の身に起こっている異変に悩んでただいたずらに時を過ごしているとはそも思っていなかったが、姿が見えないで案じずにいられるわけもなく。具体的に何をしているのかとまでは分からなかったが、無事でいるならそれで十分。ずっと不安そうな顔をしている遊子にも、一応の報告が出来る。
 状況は何も好転していないし余裕がない点も変わっていないが、それでも久しぶりに心が軽い。一護は向かう道を定めた。ルキアも負けてはいられない。一緒に、と井上と交わした約束が思い出されては、決意と共に不思議な高揚を覚える。
 仲間で、友人。例え身を置く時の流れが異なっていても。
 井上も、一護も。石田も茶渡も。
 ルキアの世界を取り戻してくれた、そしてまた新たな扉を示してくれる。
 ふと井上が突然連れていかれる前の会話を思い出す。彼女は一護のことが好きなのだろう。鈍いと言われる自分でも流石にそれくらいは察しがつく。一護を前にした井上は、他の誰かといる時とはやはり少し違う。どこがどんな風になどと説明は難しいけれど。

「その人のことを思うと、嬉しくなる…か」

 脳裏に、好意をもつ者たちを思い描いてみる。
 幼馴染や上司の顔が浮かべば直ぐに心は温まる。ただ嬉しい。
 義兄や今は亡きあの人のことを思うと、温かさと共に複雑な感情が、少し。これは確かに嬉しいだけではない。けれども井上の言うような特定の男女間に当てはまる感情でもない、と思う。二人とも既に伴侶を持っていたし、彼女らに嫉妬する、などとは今も思いつきすらしない。片や実姉、片や憧れの対象。どちらも既に故人の上、嫉妬以前に何かしらの感情を持つほどの近さにもなかったというのがルキアの正直な気持ちで。

 カンッと夜道に軽い音がして振り向く。空き缶が片隅に転がり、その横を仔猫が駆けていった。

「何だ…」

 振り返った夜道に、妙な既視感。答えは言葉で探すより早く、映像となって閃く。
 いつかの、夏の夜。
 まだ一護の斬魄刀が斬月の名ではなかった頃。初めて見た大虚を退けた時、現れた薄墨色の髪の、彼の人。
 ひゅい、と呼吸が詰まった。
 それは呼び水となって、次々と脳裏に姿を蘇らせる。
 恋次と共に双極の麓から駆けた横顔。
 東仙の刃を受けて流す赤。
 市丸と自分の間に飛び込んできた背。
 獣のような、咆哮。
 骨か、その奥の臓か。締めあげられて苦しい。

「な、んだ…これは…っ」

 分からない。
 分からないまま、ルキアの脳は依然として鮮やかな画を、声を、再生し続ける。
 あの人が音に為した自分の名も、
 記憶にないと否定した声も、
 去っていくいつもの背も、
 自分こそ知りたいと吐き捨てた言葉も、
 打ちつけた拳と、流す赤も、

、殿」

 名を口にして、しまったと悔いたが遅い。
 ぎゅうぎゅうと鳴く胸に、死んでしまいそうだとルキアは思った。
 記憶に、思いに、殺される。

2011/03/06







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