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浦原商店の地下には、喜助特製の空間が広がっている。遠近感を狂わせる広さと多少暴れても問題ない頑丈さ。尸魂界、双極の丘の下を模して造られた、勉強部屋。
そこにある彼の姿は、喜助に一瞬の既視感を与えた。百余年前から微塵も変わっていない、彼の後ろ姿。
「サン」
だが確かに過去は過去で、ここは尸魂界ではない。
「少し休んじゃ、如何ですか」
聞こえているだろうに、返事はなかった。
後ろ姿は変わらない。だが、常ならばその捕らえ所のない、希薄で静かな霊圧が酷く乱れているのが分かる。それが身体の疲労から来るのではないことも。
恐らく藍染たちにしても予定ではなかった襲撃。六体でやって来た破面たち。倒された五体と戻った一体、十刃と呼ばれるもの。そして連れ戻すため現れた東仙要と、市丸ギン。
一人が市丸と言葉を交わした。
「…何を、言ったんです?市丸は」
ようやっと、のろのろとが振り返る。
と知り合ったのはもうずっとずっと、遥か昔。夜一にとっても喜助にとっても数少ない友人の一人。常に共にいたわけではないが、付き合いは長いし、浅くもない。だがそんな姿は、喜助は見たことがない。そんな、追い詰められた弱者のような姿は、一度として。
何故、との口がこぼした。
「何故、知っている」
喜助を見ながら、だが喜助に対する問いではない。
「何を、俺の何を知っている。何故俺を知っている」
尸魂界、双極の丘で一護が聞いたという藍染の言葉。
早く思い出せ、と。が、たる由を。
の求めるものは、最早ここにはないと。
喜助は帽子に隠れた奥で眉をひそめた。藍染の言葉を鵜呑みにするのは危険だが、はったりや出まかせでは有り得ない。こうまでこの男を揺らがせるなど。
がくんとが頭を抱えて膝を折った。
「サン!」
崩れ落ちたに駆け寄る。それは喜助一人ではなかった。
「殿ッ!?」
小柄な背格好は、似せてはあるが人のモノではなく。
「―――朽木サン」
いつの間にここに。何故気づかなかったのか。二重に驚くが後者に関してはすぐ理由に思い至った。の常になく波立つ霊圧に気を取られすぎていた。膝をつき額に脂汗を浮かべたもまた、何故、と狼狽を口の中で呟く。
「そ、その…っ、一護が家に戻らぬのでここではないかと…決して盗み聞くつもりでは!」
出ていく時を見失ってとその言葉に偽りはないだろうが。
倒れたを見て飛び出したは兎も角、何をすべきか分からずルキアの手が宙を泳ぐ。一方のは逆に意識を引き戻されてか、身の内で暴れる力を抑えつつあった。幸いなことに。
「…サン」
喜助の声に深く深く、生命そのものを絞り出すような息を吐いて、それから大丈夫だと返すの顔は真っ青だった。額に浮いた脂汗が長い前髪を伝い地へ落ちる。その場に腰を下ろす様を、ルキアが眉を寄せて見つめていた。ややあって、躊躇いがちに口を開く。
「殿、」
心配だと、声は固かったけれど雄弁だった。
「…何があったかは、存じません。…ですが、そのままで破面たちと戦うのは」
何故、何を、どうして。
恐らく山ほどある疑問を、ルキアが言葉にすることはなかった。分からないことが多過ぎて何から尋ねれば良いのか、それともどうせ彼は答えまいと何度目かの遣り取りでもって諦めたか。
暗に退いては、との言葉にしかしは俯いたまま、首を振る。
「足手まといにならないことだけは、お約束する。邪魔と判断なされた時は捨て置き下さい」
命を賭すと、それは死神であれば誰でも、勿論ルキアも覚悟の上だが。声があまりにも投げやりに思えた。そして強固に思えて思わず、
「何故、そうまで。一体何の為に、」
藍染たちにこだわる。
問う声に苛立ちや責める色が滲んでいたのは分かっていたが、ルキア自身にも抑えきれなかった。
「何を隠しておられるのですか」
ど―――ッ、と地面が揺れた。の拳が地にひびを入れていた。
「な、」
「―――俺が、知りたい」
吐き捨てるように言って立ち上がる。ふらつきこそしなかったが、その顔色はまだ紙のように白かった。
「俺こそが、知りたい。俺が俺から何を隠したか」
喜助もルキアも、立ち去る背中にかける言葉を持たなかった。地下の勉強部屋に残されたのは二人と、ひび割れた地面に転々と落ちる赤いもの。の拳から流れたそれは、やがて奥深くへ染み込みいつか誰にも見えなくなるのだろうが、
「…一体、何のことを…」
今はまだ鮮やかな赤に目を落としてルキアが呟いた。唯一それを聞く喜助は逆に赤から目を逸らすよう帽子を押さえて、さぁ、と言った。
「浦原」
「…サンが言えないことを、アタシの口から話すわけにはいかないじゃありませんか」
アタシ、サンには嫌われたくないんスよ。
悔しそうに、ルキアは口をつぐむ。
仮に喜助が何か話したとして、そう容易く決別する付き合いではないけれど。いざそうなれば自分は致し方ないと受け入れるだろうけど。出来るならこのままが良い。それに、
「アタシにだって、分からない事だらけだ」
彼の人が彼の人自身から隠した事実など、推測すら難しい。藍染たちがどうやってそれを知り得たかなど、更に理解から遠い。
「…だいじょーぶ。あの人ァああ見えてけっこー強いッスから、そう簡単に死にませんよ」
だがら、忘れちゃって下さい。その方が、
「お互いの為だ」
そうやって自分たちは今まで、長い時を過ごしてきた。見て見ぬ振りの温ま湯は、最善ではなくとも自分たちにとって一番具合が良かった。だから彼女にとっても、きっとそれが良い。
他の誰でもない己に言い聞かせているとの自覚はあったが、それ以外の方法を、喜助は知らない。
2011/03/06
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