20
二つ、三つ、四方で巨大な霊圧がぶつかり合う空座町に、またひとつ暗い孔がひっそりと口を開けた。一歩足を踏み出せば肌に感じるそれらに、少し遅かっただろうかと呑気に思いながら市丸は夜空を歩く。
藍染の配下、破面たちのものと、かつての同胞たちのもの。袂を分かち虚圏へ入ってからまだ数えるほどしか経っていないのに随分懐かしく思える。
あちらは多分六番隊の副隊長のもの、向こうは十番隊の隊長と。幼馴染の霊圧にわずか首をむけ、止めた。もっと、面白そうなものを見つけたから。
眼下を走るそれに、殺気をほんの少し。予備動作なしに停まり空を仰ぐ男。反応が打てば響くより速くて、嬉しくなった。低い声が驚愕をもって己の名を呼ぶ。
「市丸、ギン……!」
一直線に見上げてくるその瞳は確か淡い墨色だったはずとふと思い出す。この暗さではどうせ分からないのだが。
「やー。こんばんわァ。君、やったっけ?」
恐らくは表情にも驚愕を浮かべていただろうだったが。
市丸の言葉が終るか終らないか、閃く鋼。牙を剥く獣は白い靄の。
「……いきなり、ひどいなァ」
少し話するくらい、ええやん。
反応速度は十分称賛に値するのだろうが。不満をこぼしながらほんの半身分だけ、ずれた位置を振り返る。
「あーあ、ほら。綺麗になくなってしもたよ」
一瞬前には確かにあった、建造物。抉られたように跡形もなく消え去っていた。一体何だったかなと、考えるのも面倒臭くてあっさり放棄するけれど。
やはり声をかけて良かったと、市丸は笑みを深くする。
「ほんま、何でも食べてしまうんやなァ。自分の斬魄刀」
の息が詰まったのが、空気を介して伝わった。
を中心に、周囲を取り巻く白い靄。何処からともなく生まれるそれがの斬魄刀の力。双極の丘で藍染にも一太刀を浴びせた様はなかなか見物だった。思い出せば愉快な気分のまま、市丸は尋ねる。
「なァー、君。昨日食べたもん、覚えてる?」
市丸の手の内には札が一枚。たった一枚、だがとても強力な札。
「覚えてへんよなァ。自分、獣やもん」
獣はそんなん、覚えるモンちゃうしなァ。
純粋に、本性の強ければ強いほど。
「せやけどボク、君に聞きたかってん」
白い獣が市丸に向かって喉を唸らすならば、教えてやろう。その喉笛には既に牙がかけられていることを。
衣の白をふわりと宙に膨らませて、市丸はゆっくりとへと近付いて行く。一言一句、の脳へ刻み込むように問いを口にした。勿論、いつもの笑みを浮かべて。
―――自分の身内て、どんな味やった?
斬魄刀、絶虎の切っ先が真正面に。つい、となぞれば冷たい感触が指に伝わる。
ああ、確かに薄墨色だったとその見開かれた目を見て内心頷く。
「…覚えてへんの?」
それか、忘れたフリ?
薄墨色は一層冷え冷えと温度を消していく。聞こえていないとはまさかないと思うが、それとも喉笛をおさえられた獣は温度を消すものだろうか。
この男が真に獣ならば、喰らったものの名前など忘れてしまっても、
「味は、忘れてへんやろ」
「―――は、」
ど、お、と白の靄が爆発した。獣がその顎門を開く。本能のままに市丸へ喰らいかかる。
だが怒りに狂った獣をいなすことなど、赤子の首を捻るより容易い。白い獣が肉を裂く代わり、宙に赤い飛沫をあげたのはの肩だった。
「ぐ、ぅ…ッ」
「あかんあかん。ボクなんか食べたら、お腹壊してしまうよォ」
けたけたと笑う市丸に血を流す肩をそのままにが唸った。
「何故…何、を」
「何でボクが知ってるんか、て?それは―――…あれ、」
応えを口にしかけて止め、市丸が首を巡らせた。
「他の子ォ連れて帰らなあかんかったんに…みんなやられてしもたみたいやなァ」
いつの間にか、周囲で激しく繰り返されていた霊圧の衝突のほとんどが鳴りを潜め、感じ取れるのはその名残だけ。
「一人の他は」
他を扇動して勝手な襲撃を決行した破面。その近くにはあの陽の色の髪をした少年の霊圧。いつだってあの少年は嵐の中心にいるのだなぁと感心するような、哀れなような。
「一人…?」
「うん、その子はちょっと強いから。もしかしたら一護君、死んどるかもしれんねぇ」
一瞬目の前の存在も忘れて背を向けた。無防備な背中だった。
あからさまな動揺を見せるに、市丸は笑いかける。正しく嘲りの笑みを。
「行ってええよ。ボクの仕事、もうあらへんし」
今日はもう、これ以上は楽しめまい。自分も長居は出来ない。ひらりと手を振ると、夜空に裂け目が現れる。
「市丸…ッ!」
「次会う時までに思い出しといてな」
何で知ってんのか、ボクも教えたげれる思うし。
追いすがるようなに最後まで崩すことのなかった笑顔で手を振り、市丸は帰路についた。予定とはだいぶ異なるが収穫はあったと、混沌を進む胸中には確かな満足感。次が楽しみだと、一人ごちた。
2011/03/02
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