18
薄墨色の長い髪は考えてみれば目立つはずなのに、その後ろ姿を見つけるには随分時間がかかった。
「殿!」
ゆっくりとルキアの方に振り向く所作も、何か、と問いかける声も、一度そうと考えれば全てが四十年前のあの死神と重なって思える。この目で見たものなど実際はないにも等しいというのに。
「先遣隊に同行されると、お聞きして」
つい先程、恋次から聞かされた。恋次は松本から聞いたというが、その松本もまた許可に至った詳細を知るわけではないらしい。一角たち他の面々は突然のことに訝しんだろうが、ルキアと恋次には彼らほど奇異にも思えなかった。特にルキアは双極の丘で、あの藍染に手傷を負わせた様を見ている。の強さ、それが席次以上のものであることについて確信は最早揺るぎない。
だからこそ抱く疑問もあるが。
「出立は明朝、穿界門前に直接集まるようにと…既にお聞き及びやもしれませんが」
「了解致しました。わざわざご足労、恐れ入ります」
を訪ねる口実も明らかな言葉に一人勝手に気恥ずかしさを覚えたが、が気にした様子は欠片もない。
「あの、殿」
お尋ねしたいことが。
少し焦りながら早口に言った。直ぐにも去って行かれそうに思ったから。
「何故急に、先遣隊に同行を…?」
足は止まったが、返答は沈黙だった。静かな目が無感情にルキアを見下ろす。答えるのを躊躇う様ではない。答えさせる強制力を持たないルキアに、何か明かすつもりなど全くないのだとすぐ分かった。
悔しさを覚えはするが、事実ルキアは無席であり、十九といえど席官のに口を割らせる力はない。だがそれで引く気もない。
「…双極の丘で、藍染が言い残した言葉と何か関係があるのでは」
初めての霊圧が乱れた。ほんのわずかな波だったが、それ故如実だった。
ルキアが聞き取っていたと予想していなかったのかもしれない。
「思い出せ、と。求めるものはここにない、とも」
の行為は不可解に過ぎる。
実力は席次以上、どころではきっとない。だがそれを長く秘して十九席などと下位に甘んじていた理由は一体何だ。
夜一たちを通じて藍染たちの陰謀を知り阻む為、と言えば通るかもしれない。事実でもある。十九席にあって制約も少なく、藍染たちの目からすり抜けていたがため、恋次たちよりも比較的自由に動くことが可能だった。
だがきっとそれが全てではないはず。ルキアの内でくすぶる疑問は曖昧模糊として言葉にするのは難しく、誰かに説明することも出来ないけれど。あの時あの丘で、急変したの様をルキアは見ている。疑問を持つ理由はそれで十分に過ぎる。
「一体、藍染は何のことを」
例えと藍染の間に何らかの関わりがあったとして、非難するつもりは毛頭ない。意図が何であれ命を助けられた事実に変わりはなく、過去は問題ではない。
助けてくれた。一護や恋次と同じく血を流しても。義兄と同じくその身を挺しても。
そしてそれはきっと、二度目のこと。
恩返しのような気でいたことは、否定しない。自分にもまた何か出来る事があるのでは、と。
「…分からない」
ややあって、がぽつと漏らした。
「藍染が何のことを言っているか、何か関わりがあったのか、それも」
何一つ、と小さな呟きはすぐ近くにいたから辛うじて聞こえただけ。ルキアの問いに対する答えではなく、ただの独白。
「…それは一体、どういう…」
更に不可解さを増す言葉に疑問を重ねるが、返るものはただ沈黙だけだった。
視線はルキアにはなく、その意識の端にもきっと存在しない。
「あ、の」
「…出立前の引き継ぎをまだ終えていません。明朝に、また」
最初と変わらぬ長さの前髪の向こうに苦悶の色が浮かんでいるように思えて、再度声をかけようとした。だが瞬き一つのうちにルキアが感じたものは綺麗さっぱり拭い去られ、欠片すら最早見つけられない。
無機質さを取り戻した慇懃な言葉と声はこれ以上の会話を拒絶する色も濃く、ルキアの返事も待たず背が向けられた。
「…っ殿!」
もう一つだけ、とルキアもまたの反応を待たずその背に問うた。
「四十年前、東流魂街で子供を二人、虚から助けられた覚えは」
恋次とルキアの始まり。ずっとルキアの内、奥深くにあった大切な記憶。
四十年、片時も忘れなかったとは流石に言わない。だが消えはしなかった。いつも不意に、奥底から泡のように現れてはルキアを支えてくれた、記憶。
真っ直ぐ見上げる薄墨色に、心臓が脈打つのがやたら早く大きい。
「子供は私と恋次、阿散井恋次です。死神になる前の。そして私たちを助けて下さった、あの死神、あれは殿では」
また別の根拠もあった。斬魄刀は使い手の半身。似ることはあっても二振りと同じものはない。ましてやその名も解号も同じなど有り得ないと。
だから、
「記憶違いではないかと」
聞き間違えたのかと、思った。
「自分の記憶にはありません」
だが声も霊圧も、確固として揺るぎなく。先にわずかばかり見せた乱れも勿論ない。
忘れろ、探すな。
あの時残された言葉にも確かに通じる、冷たい温度。
遠ざかる背をぼんやり見送りながら、ルキアは落胆を覚えていた。否定したにではなく、思わず口走った己に。大切な記憶はそのまま、秘めておけば良かったのに。そうすれば何も損なわれはしなかった。特別な記憶も、期待する気持ちも、何も。
薄墨色の髪は既に遠い。
彼の人はいつもその背ばかり、ルキアの印象に残る。
2011/02/16
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