16
旅禍としてではなく、尸魂界における重要な客分として一護たちが現世へ送られる日。双極の丘には隊長格が何人も見送りに詰めていた。憑き物が落ちたようにすっきりとした表情のルキアと、その傍らに白哉がいることに一護は晴れやかな笑顔で応えた。何の斟酌なしに笑えることが、嬉しい。
現世へと通じる門が大きく口を開く。夜一たちに続き中へ踏み出した時、丘の麓、視界の隅をごく小さく死覇装が掠めた。わずかのことで良くは見えない。だが根拠なしにその死神が薄墨色の髪をしているだろうと確信して、一護は最後にひらりと手を振り尸魂界を後にした。
彼に関する疑問を一つ残して。
『早く思い出せ』
『求めるものはここにない』
あの時、藍染の言葉。
にとって何か重要な意味を持つことは間違いない。あんな、血を流し慟哭し、我を忘れて獣のように飛びかかろうとする様を目の当たりにすれば誰にでも分かる。それまでと一変した獰猛な霊圧には、一護も震えを覚えた。
あの言葉がどんな意味を持っているのか、何故藍染が知っているのか、何か関係があったのか。
身体が治ってすぐ、礼を言いに一護はの元を訪ねた。双極の丘でだけではなく、一護たちが知らないところできっと多く尽力してくれたはずだと。自分たちは最初から法外な存在だったが、はれっきとした護廷の一員。今回のことで重い罪に問われなければ良いがと心配をしたのだが、どうやら他の功績とともに不問に処されることになりそうでほっとしていた。予定よりも早く退院したらしい身体の方も不調はなさそうで、とりあえずの心配ごとはなくなった。
けれど、先の疑問を口には出来なかった。一護も他も無事で良かったと言いながらその表情は張りつめていて、初めて会った時より余程近寄りがたい空気をまとっていたから。まるで、未だすぐ近くに藍染がいるかのような。
不用意に触れてはならないのだと、それだけ分かった。少なくとも今、口にしてはならない、尋ねてもきっと答えは返ってこないだろうとも。
不満は、正直覚えた。だがルキアや恋次ほど気安く言葉を交わせる関係ではない。協力者であったのは偶然目的が一致していたから。多少の親しみくらいは感じてくれていようが、それ以上のものではない。友情と一時の協力を取り違えるほど一護も図々しくはなかった。
そうして直接は無理でも、夜一からなら或いはとも思ったのだが。
何があったか知らないがの名前を出した途端「あの頑固者のホウキ頭めが」と不機嫌になる始末で、結局何も聞けずじまいに終わったのだった。
先頭をいく黒猫が最後の見送りに気づいた様子はなかった。または分かっていて無視していたのか、一護には判断がつかない。詳しい関係は聞いていないが、付き合いは古そうに思える。崩玉の存在を知っていたことから考えれば浦原とも近しいのだろう。現世に帰ったらあちらにも聞いてみようかと考えたが、果たしてあの曲者が素直に教えてくれるかどうか、甚だ疑問ではある。
「…似た者同士ってか…?」
類は友、とでも言うのか。
死神たちはその見た目通りの年齢ではないらしいから、年相応にひねくれているだけなのか。確かにからは、ルキアたち以上の時の隔たりを感じるし。
どっちにしたって面倒なことだと、一護は溜め息をつくしか出来なかった。その面倒なことに自身が進んで足を踏み入れたことには気づかないまま。
*
一護が穿界門に姿を消す直前、丘の麓を見たことにルキアも気づいた。視線の先に、一人の死神。だがルキアが何か反応を示すより先にあちらが身を翻す。ルキアの視線に気づいての行動かどうかは分からない。
「あれ…もしかして今の、…じゃねえのか」
余所を見ていたルキアの傍らで、恋次が同じく目をやる。去っていく後ろ姿しか見えていなかったが、察しはついた。そう目立つわけではないが、薄墨色の髪をした顔見知りは今のところ一人しかいない。
「ンだよ…あいつもちゃんと見送ってやりゃ良いのに」
居並ぶ隊長格に後込みするようなタマでもなかろうとは当て推量だが、恐らく間違ってはいまい。ルキアも同感だったが、対する感想はもう少し複雑だった。
「恋次」
視線はそのまま、覚えているか、と我ながら唐突に尋ねた。この問いに答えてくれるのは恋次しかいない。
「お前と私があそこを、戌吊を出た夜のことを」
「…何だよ、急に」
四十年。死神になって初めて尋ねた。唯一記憶を共有する互いが隔絶していた為もあるが、それでなくとも口に出したことはない。己で己に禁じていたようにも思う。
本当に唐突な質問に目を瞬かせたが、覚えている、と恋次は肯定を示した。
「あの時の丸薬の味は、早々忘れられるもんじゃねぇよ」
冗談めかした恋次の答えに、ルキアもわずかに苦笑を漏らす。真実あの酷さが脳に刻み込まれているらしく、今でも恋次は丸薬の類が苦手だった。
「…んで、それが何だってんだよ?」
「あの時の死神…顔を、見たか?」
「いいや。暗かったし、怪我で半分意識トんでたし……」
おい、まさか、と何かを察して恋次の表情が変わる。
既に何もない丘の麓。見送りに来ていた他の隊長格たちも皆もう丘を下りて、そこには恋次とルキアの二人しかいない。俄に色めきたった恋次に、ルキアも真剣な眼差しを向けた。
「私も同じだ。姿形はほとんど分からなかったし記憶も朧だが…斬魄刀、が」
この丘で、市丸の刃を受けて膝をついた時。既に意識を失っていた恋次は知らない。けれど、ルキアは確かに聞いた。不思議に耳に残るあの言葉を。
「同じだってのか…?」
恋次の呟きはルキアに対する問いではなかった。呆然としたような、それでいて興奮の色の浮かぶ眼差しが、男の消えた先を見ていた。静かな高揚はルキアの内にもまた。
四十年前と今とが、つながっていく。鮮やかに速やかに。
あの男がそうかもしれないのだと、可能性ばかりが今は二人の目に眩しかった。
2011/02/08
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