14

 夏の終わり。
 仲間がまた一人死んだ。
 骸を葬った崖の向こう、果てない大地が広がっていた。

「ここを出よう、恋次」
「ああ」
「死神になろう」
「ああ」

 死神になれば瀞霊廷に住むことが許される。住み良いところと、例えいくらかが誇張であってもきっと此処より酷くはないだろう。
 ここで十年、生き延びた。けれどこれからも生きていける保証はないし、行き着く先も見えている。
 死にたくないからここを出る。生き残って仲間の墓を掘るのにも飽いた。
 きっと大丈夫。
 こんなところで十年、生き延びた。
 死神になることが生き延びるより難しいなんて、きっとない。



 けれど浅はかだったかもしれない。
 勢いばかりが空回り、足りなかったのは自覚か、覚悟か。
 力を手にしようと決めた自分たちは、無力な子供だった。

 村を出たところで虚に襲われた。
 虚に襲われることは珍しくない。ただ村の外で襲われては逃げ場がない。貧相な村ではあったがそれなりに備えはあったし、第一数がある。虚が一人を喰らっている間に他が逃げる。非情だが自分が生き残るためにはそれしかなかった。
 今、虚の狙っているのは自分たちだけ。
 戦うものもなければ、囮になるものもない。逃げることすらできない。
 闇夜に乗じてまず恋次が襲われ、寸でのところで避けたが大きく脚の肉を抉られた。きつく縛りあげたが血は止まりそうにない。強い血の臭いが鼻をつく。

「ルキア…っ、お前一人で行け…!」
「馬鹿者!そんなことができるか!!」

 出血に半分意識を飛ばす恋次に怒鳴ったが、声は震えて虚勢にもならない。
 恋次の言葉は確かにルキアが唯一生き延びる手段かもしれないが、恋次を囮になど出来るはずもない。足は震えてろくに動かず、時間を稼いだとしてもきっとすぐ追いつかれる。
 生きる為に出てきたのに。二人揃って生きようと。こんな意味のない終わりを迎える為ではなかった。
 虚は弱った自分たちにすぐさまとどめをささなかった。まるで猫が小鳥をいたぶるように、気配も濃厚にこちらを見ているのが分かる。いっそ笑みさえ浮かべていそうな。
 悔しくて、涙が滲む。
 悔しい悔しい悔しい。
 自分には力がない。恋次を担いで走れない。虚を倒せない。
 悔しい。
 闇の中、生暖かい空気が動いた。震える手に、力を溜める。ただで喰われてなどやらない。その牙の一本二本、必ず道連れにしてやる。
 野良犬を、侮るな。

「来い…ッ!」

 風が巻き起こる。悲鳴が闇を切り裂く。
 ―――虚の、悲鳴が。
 衝撃はあった。だが痛みはない。
 ルキアの力ではない。虚の牙が届く寸前、ルキアの背後から駆け抜けた何かが、虚を射抜いたのだった。不思議に耳に残る言葉と共に。
 おお、おぉと、耳障りな声を残し虚が消えて、周囲の空気が一変する。喉元にまとわりついていた嫌な気配から解放されて激しく咳きこんだ。

「…そこの、」

 ルキアではない、恋次でもない第三者、男の声に再び背が緊張した。ほんの微かな星の光を受けて、鋼が闇に瞬いた。それが男の牙。一撃で虚を葬り去るほどの。
 男は自分たちの前から虚を退けたが、自分たちに害を成さないとは限らない。赤の他人からの純粋な善意の存在を信じるほど、自分たちは無垢でも愚かでもない。
 警戒したからと、何も術がないのは変わらないが。

「…!」

 突然目の前に小さな灯がともった。
 男の手のひら、害意を連想すらしないほど小さく弱々しい光が恋次の上を滑り、血で染め抜かれた布を探り当てるや、男はそれをむしり取った。

「なッ、」
「静かに」

 何をするのだと気色ばんだが鋭い静止に声が出なくなる。はくはくと口ばかり動かすルキアの視線の先で光が何度か傷をなぞり、漸く男が治療をしてくれているのだと理解した。
 光は変わらず弱く、見えるものは恋次の傷と男の手だけ。その袂が黒いことは、分かった。

 傷が粗方ふさがって、男は懐から取り出した小さい何かを飲め、と恋次の鼻先に突きつけた。恐らくは薬なのだろうが、その強烈な臭いに思わず身を引く。果たして本当に薬かと再び警戒心が首をもたげたが、男が引く気配はない。
 しばしの沈黙の攻防の末折れたのは恋次で、傷をふさいでおきながら毒を飲ませはしないだろうとルキアも止めなかった。強烈な臭いのそれは予想通りと言うべきか、味の方も強烈だったらしい。盛大にむせかえりながらも何とか飲み込んだのを見届け男は立ち上がる。その裾を掴んだのは咄嗟のことで、意識しての動きではなかった。

「あ、」

 すぐに気づいたが離せない。だってこのままここに置いて行かれたら。また虚に出会したら、どうする。一旦手を差し伸べたなら最後まで、とは思ったが口にするのは流石に抑えた。

「…俺に出来るのはここまでだ」

 ややあって男が言った。恋次の傷を治してくれた時よりずっと冷たい声だと思うのは、ただの思いこみか。

「じき、動ける。ここから自分たちで行け」

 力の抜けた手からするりと布が抜ける。思い出した。理解した。何も頼ってはいけない。頼るものなど持っていない。

「…あんた、死神、か?」

 立ち去ろうとする男に尋ねたのは恋次だった。まだ辛そうではあったが意識は落ち着いてきているらしい。
 男は応えないが、否定もない。肯定の沈黙だった。男が死神であるとするならば、あの虚を退けた鋼の刃、あれが斬魄刀。恋次とルキアが求めるもの。

「俺たちも、死神になる。…だから、あんた」
「忘れろ」

 少し興奮し始めた声で恋次が何と続けたかったか、男、死神は一層冷たい声で切り捨てた。

「ただの偶然だ、忘れろ。探すな」

 もし俺に助けられたと思うなら、そうしてくれ。
 言い残して、今度こそ死神は音もなく闇へと溶けた。最後まで硬質な声に追いすがることもできず。残るものは何もない。
 ほんのわずかな邂逅。

「あれが、死神か」
「ああ」

 初めて言葉を交わした死神。
 漠として、不気味で、不可解な。
 だが強い。

「強ェんだな」
「ああ、強かった」

 忘れない。忘れられるはずが、ない。
 これが始まりだと、二人互いに胸へ刻む。
 ここから歩いていく。あの鋼の牙。あれを、手に入れにいく。

2011/01/18







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