03.噛む
※コレと同設定。
虚との戦闘中にドジを踏んだ。肩口を裂かれ、少なくない血が流れる。放置しても良い程度のものか否かは経験でおよそ判断がつく。今回は『否』のほうであると分かったから、大人しく治療へと向かう。後のことは任せておけと弓親が言うし。
それだけだ。
単に治療の為。
他に目的などない。
「斑目三席!お怪我ですか!?」
「…見りゃ分かんだろ」
片腕を真っ赤に染めている姿が怪我以外の何に見えるか。痛みと出血の為に苛立つのを何とか抑え、それでも抑えきれなかった鋭い眼差しに四番隊の男が身じろいだ。これだから。
「そ、それでは此方へ。すぐ治療致します」
一角の視線から逃れる為か、それでも素早く慣れた指示に辛うじて舌打ちは収めておく。すぐ近くの処置室の戸へ男が手を伸ばしたと同時、独りでにそれは動いた。内側から開いたのだと、鉢合わせた女の姿にすぐ知れる。
「ああ…、失礼しました」
「いいえ。こちらこそ」
やや驚いて目を見開いた女が、どうぞと軽く会釈してすぐ道を譲る。すれ違いざま己より低い位置にある顔を盗み見るが、映ったのは旋毛だけ。返されるものはなかった。
ぢり、と腹底が煮える。手が動いたのは考えての行動ではなかった。しかしそれが何かを掴む間際、突然入り口の方から騒がしい声があがった。急患だと、怒声が響く。続いて幾多の足音。それらはあっという間に近づき、目にも明らかになった。担架が幾つか己のいる場所めがけ走ってくる。どちらに、と迷った袖を引かれた。
「こちらへ」
涼やかな声。引かれるまま道を開けた所にどっと担架とそれを抱える者たちが押し寄せ、先に己と連れ立っていた男とは反対側へ分かれる形になった。
運び込まれた急患たちの傷はそれなりに重そうで、処置室に四番隊の者たちが次々押し寄せる。人の波に流された男が声を上げた。手が足りないとばかり、早速他の四番隊に捕まっている。
「さん!すいませんが…」
「ええ、承知しました」
たったそれだけのやり取りで事は決定したらしい。
「急なことで申し訳ありません、斑目三席。私が治療に当たらせていただいても?」
「どーでも良い、早くしてくれ」
血が足りねェんだと目つきも悪くぼやくのに再度謝意の感じられない謝罪を繰り返して、足早に喧騒の中をすり抜けていく。後を追ってそのすぐ裏、布で仕切られただけの簡素な空間に椅子があった。促されて腰を下ろすなり後ろへ回り込んだ手が素早く血まみれの止血帯と死覇装を剥ぎ取っていく。
「動かせますか?」
「ああ」
「毒は、ないようですね」
確認事項のみの短い受け答えに、布一枚、壁一枚向こうからの声が被る。視界の端で治癒鬼道の光が灯った。肩をなぞるそれは温かいのに、どこか芯が冷たい。そう言えば氷雪系の斬魄刀を扱うのだと何時か誰だかに聞いた気もする。
誰だったか。
「さん、てか」
冷たい火がぴくりと揺らぐ。が、すぐまた傷を照らす。
「はい。何か?」
身を捩り負傷したのと反対の腕で、細い手首を掴んだ。驚いた相手が反応するより遥かに素早く脆肌の懐へ引きずり込み、薄く開いた口を、口で、塞ぐ。
「…ッ、ふ」
暴挙、に柔らかい女の身が強張る。が、構わず思いのまま口内を荒せば溜め息のような鼻にかかる呼吸を一つ漏らして、するりと腕が首へ回った。
水音が鼓膜を震わせる。
望み通りに応える熱い舌と素肌が読み取る相手の曲線と。
布一枚隔てたそこに何人もの同胞がいるということなどは簡単に意識から追い出せるのに、脳内でしつこく繰り返される、先程の男の声。
頭の血管が、焼き切れそうになる。ただ声如きに苛立ち、その感情の向かうまま乱暴に邪魔な布を剥ごうとして―――
「い゛…ッ!」
肩に電流が走った。
首に絡んでいた細い腕が、塞がり始めていた傷に爪を立てていた。
「何、しやがる」
腕の中、ごく間近から己を見上げる瞳は常と全く変わらない。むしろいつもより冷え冷えとしている気がする。
「まだ治療の途中、でしたよね」
濡れたままの唇で言って身を起こす。再びあの冷たい光が先程と全く同じに、いささか開いてしまった肩の傷をなぞり始めたが、異なる点が一つ。手は後ろからではなく正面から回されていた。つまり向かい合う形で。膝の上にかかる重みは幻ではあり得ない。
「おい、」
「治療中はお静かに」
ぴしゃりと遮られ無意識のうち柳腰に回そうとしていた腕が止まった。掌の光は確かに傷を癒していく。なのに妙に冷たく、刺々しい。その冷たさに咎められるかのように、光が完全に消えるまで腕はだらりと垂れ下がるままだった。阿呆のように固まった我が身が、居心地悪いことこの上ない。つい先まで、あれだけしておいてすら全く気にならなかったことが、周囲と自分たちを隔てるものが頼りない薄布一枚であることやその向こうに何人もの顔見知りがいることが、急に意識されてしまう。下半身が落ち着かない。早く、と思う気持ちと裏腹に治療はいつもより殊更ゆっくり行われた。ただ勝手にそう思うだけかもしれないが。
別に誰に知れたところで痛くも痒くもない。不義をはたらいているわけでもなし、何を言われても動じる理由も必要もないはず。それなのに、見られたくない。見せたくない。何を?この状況を?を?を膝に乗せた、己を?
光が徐々に小さくなっていく。肩に感じる、冷たいのか温かいのか最早判断つかない温度が消えて、隣り合うの目だけが此方を見た。それがどこか意地悪げに弧を描いたと認めた時には、肩口に長い髪の頭が埋もれていた。
熱くなる。
肌に刺さる固い感触。思わず身を引いた。そして続くのは、獣がその舌で傷を癒すかのような。ぬるりと。
今度は背が粟立った。熱が下肢を駆け巡る。
「お仕置き、ね」
肩口から上げたそこに浮かぶ、妖艶な笑み。
少し離れた場所からまた女の名を呼ぶ声がした。さん。はぁい、只今。応え膝からするりと降り立つ腕を掴む。
「今夜は来い」
首を横に振らせるつもりはない。責任はあちらにある。
「薬が、必要ですね」
「」
「後でお持ち致しますので、これでお引き取り頂いて結構です」
言ってやんわり、だが有無を言わせぬ力で腕を解く。背後の布を引いて、声のする方へと駆けていく背は振り向かない。振り向かないであろうと分かっていて見送る。癒えたはずの肩はまたちりちりと熱を持ち始め、残った跡をなぞる指が焼けるのを確かに感じていた。
2011/06/24
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