半分にも満たない月の淡い光の中、の白い背中が浮かび上がる。癖の強い髪が流れるのが見えていたが、すぐさま服に覆われてしまった。

「もう帰んのか」

 ごく普通、なんでもない風に聞いただけ。が、その声が妙に未練気に響いた気がして、言ったそばから舌を打つ。そこいらの女なら肩の一つすくめるだろう柄の悪い態度に、しかし目の前の女は微塵も臆することなくあっさり帰るわ、と答えるだけ。振り向きさえしない。
 服の下から一旦隠れた長い髪を引っ張りだして低い位置で軽く結わえ、すっかり身支度を済ませて漸くこちらを向く。そして猫のように目を三日月にして笑った。

「ご不満?」

 不満も不満、大いに不服だが言葉にはしない。しなくてもすっかり見通されているだろう。それにもまた不機嫌を助長されて、ケッとそっぽを向いた。

「怒らないでよ」

 忍び笑いの中ほんの少し詫びの色を帯びた声が何も纏っていない背中にかけられる。視線を反らしたのは直視に耐えないからだった。双方、先刻の名残をまだ色濃く漂わせている。自分ひとりなら兎も角、今のそれを感じ取ってしまっては、また手を伸ばさずにはいられないだろうと分かっていた。自身もそれをしっかり自覚している。そして隠そうとしない。
 だのに帰ると言う。

「帰らないとバレちゃうでしょう、皆に」
「バレたって構わねェっつってんだろ」
「一角は良くてもあたしが構うの。“男気溢れて赤い目元がセクシー”って評判の斑目三席に手ぇ出したなんて知れたら、明日から皆の間でやっていけないわ」

 そう言う理由で、一度たりともが己の部屋で朝を迎えたことはない。足腰立たなくなるほど、意識を飛ばすほど追い込んでやっても、必ず朝には姿を消している。毎度強壮剤でも持ちこんでいるのか、体力もない四番隊のくせにこんな処で無駄に才能発揮しやがってとその都度忌々しく思う。

「…俺が手ェ出される方かよ」
「最初に誘ったのはあたしだもの」

 確かにの言うのに誤りはないが。

「てめェの評判なんざ、疾うに地に落ちてンじゃねェか」
「四番隊のあばずれ女は下の世話までばっちりって?」

 さも愉快そうに言うのにとうとう背を向けていられず身を返した。何か言うつもりで開いた口。と、それをふさぐもの。熱く、口内を好き勝手動くの舌は獣じみていて、上から覆う格好も相まって正しく喰われているようにも思える。はらりと頬をくすぐる髪の一筋。既に整えられた髪に、衿口に手を差し込む。より、早くの体が引いた。

「……おい」

 思い切り凶悪に睨みつけても効果は全くない。てらてらと薄い唇を濡らしたまま、いつもの淫靡な笑みを浮かべ、怒らないでと僅かに枯れた声が繰り返す。

「イイコだから」

 額よりも少し下、盛大にしわの寄った眉間に濡れた音を落すや、止める間も己に与えず部屋を出て行った。
 背で遊ぶ長い髪が扉の向こうに消え、腑抜けのように布団に突っ伏す。顔を埋めたそこから強く、嗅覚を刺激するの匂い。引きずられるようについ先ほどまで、己の腕の下で己の与える熱に喜びむせび泣いていた様がまざまざと蘇ってしまう。

「くそ…っ」

 悪態が一人きりの部屋にくぐもって響く。次のことなど、口約束にもしていない。それが常。気ままに色ばかり振りまいては己の内をかき乱していく四番隊のあばずれ女。ただの暇つぶしのつもりが完全に掌で転がされている。何時からかと自問も最早馬鹿らしい。誰の者にもならない。己に抱かれた翌日、また別の男の下であの肢体を開くのかと考えればそれだけで腑が焼け爛れるような思いに駆られる。
 執着など。
 よりにもよって、あんな女に。
 腑を焼く夜は終わりを見せずただ更ける。

2011/05/17







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