※過去話
※冬獅郎さんは二年で霊術院を卒業という捏造ヨロシクです。
10.鼻血
今年も、夏がやって来た。
南向きの窓から強い日差しが差し込む。それを避けながら廊下を行く。昔から冬獅郎はこの季節が得意ではなかった。己の固有の力が氷雪系に由来するものであると分かった今ではそれも道理かと頷けるのだが、理由が分かったところで必ず巡ってくる季節を回避する術などない。精々忌々しげに舌打ちをくれてやるくらいで。
出来るだけ日陰を渡り歩き、たどり着いた教場の戸を引く。視線が集まった。羨望、嫉妬、諂い、拒絶。教場にいる者ほとんど全ての、不躾すぎる視線に胸焼けしながら、しかし一切取り合わず冬獅郎は己の席に腰を下ろした。
気に喰わないのも無理なからぬことだ。
ついこの間、この霊術院に籍を置くことを許されたばかりの、他の誰より小柄な自分。最初の三月で一学年の学ぶべきを全て学び終えた。二年で最終学年の首席となった。
無理はないと胸中で繰り返しながらしかし、背に、腹に、絡みつく視線は夏の日差しより遠慮なく、無視に努めても努めきれぬ質量でもって冬獅郎の腹を煮立たせた。
―――馬鹿馬鹿しい、下らない。
視線のわけを思えば更に愚かなことと呆れ果てる。
何もかも正当な努力の結果だ。疑うべくもないことだと、お前たち全員身をもって知っているだろうが。徒党を組んで愚昧な視線を寄越す暇があるなら何かひとつでも学んだらどうだ。
いや、己自身こそこんな処にいては身が腐る。暑さに水までもが腐敗するように己の性根まで。
そんなのはご免だと思い立って立ち上がったその時だった。バァン!と教場の入口、戸がけたたましい音を立てて開かれた。そして、
「おー、いたいた!日番谷!」
野太い大音量が教場中に響き渡る。戸口に如何にも闊達な笑顔で手を振る大柄な青年。冬獅郎に集中していた視線が瞬時に移動する。
「お前見たか?見たよな!」
驚き半分、非難半分、少なくとも好意的ではないそれを毛ほども気に留めず、突然の来訪者は冬獅郎の元へ駆け寄るや嬉しそうな顔で言い放った。質問の体でありながら全く尋ねていない話しぶりはいつものこと。指摘も面倒、言ったところで改善される見込みもなし。溜め息混じり、冬獅郎は応えた。
「…何をスか、さん」
こちらがあからさまに面倒なという顔をしていてもにいっかな気にした風はない。気づいていないのか態となのか、満面の笑みからはつかめない。
「こないだの考試の順位表!お前また主席だったな、凄いなァ!」
が、続く言葉に冬獅郎の冷静な仮面がぼろりと転がり落ちた。それこそが教場中の視線の真相であり、が口にした途端空気が固まったのは冬獅郎の気の所為ではない。
だがはやはり子供のように呑気な笑顔のまま、また子供と同じく明け透けの拙い言葉で冬獅郎を誉めそやす。
「実技も筆記もぴかイチだって聞いたぞ、入隊も席官入りも間違いなしって教師連中皆大はしゃぎだ!」
「ちょっと…さん、」
「大海原の蛸入道まで太鼓判、蛸の太鼓判ってのは妙だな?うん、兎に角皆手放しで誉めてた。あ、でも組手はオレの方が上だったけどなー!」
冬獅郎は、先とは異なる意味でまた溜め息をついた。浮かせた腰を下ろす。にこにこと、単純な笑顔に毒気を抜かれる思いで呟いた。
「……組手だけでしょうが。他、壊滅的じゃないスか」
殊に筆記などはむしろ落第点ギリギリらしい。何故そんな事実を知っているかと言えば、間際泣きついてきたの面倒を見てやったのが他でもない、冬獅郎当人だからだった。
「まぁそんなことはどうでも良い!今期もお前が主席だってことには変わりないだろ」
あまりのあっけらかんとした様に最早声を抑えろだとか、そうした忠言が馬鹿らしくなってくる。確かに目の前の男の言うとおり事実は事実であるし、どうせ言ったところで意味はないし。にも―――周囲にも。
投げやりにそれが用かと尋ねれば勿論違う、とやけにきっぱり否定が返った。
「祝辞は単なるついでだ。手合わせの誘いに来たんだ、行くぞ!」
高らかに宣言するなり、は冬獅郎の腕を取って戸口へ向かう。強く引っ張られてガタタと机に足を引っ掛けた。
「ちょっ、ンないきなり」
「ん?何か用事でもあったのか?」
「や…用事は、ないッスけど」
むしろ自ら出て行こうとしていたところだったと思い出させられて、反論は勢いを失った。
ある、と言えば良かったか。いや、結果は多分変わらない。
「なら良いだろう、付き合え!」
にかっと犬のような八重歯を見せて笑い、冬獅郎が何を言う暇も与えず腕を掴んだまま、途中近道だと三階の窓から飛び降りて鬼道の矢より早く人気のない修練場へ駆けつけるや、ポイと放り出した冬獅郎へ殴りかかってきた。
「だぁッ!いきなりかよ!」
地面を軽々抉るそれを転がりつつ交わして冬獅郎が喚けば当然!と朗らかな答えが返る。
「油断するな、ほら!」
「くッ」
まだ低い位置にあった腹を蹴り上げられそうになって後ろへ飛びずさる。切り替えは冬獅郎も早かった。足の裏が地に着くやすかさず前へ、の懐目掛けて飛び込む。頭二つ分上にある顎を狙い、全身のばねを使い拳を繰り出す。遠慮や手加減は一切ないそれを、しかしはほんのわずかな動作でかわしてみせた。空を斬る拳、を捕らえられる。空いた腹にの膝が。
「―――ッ、やるな!」
距離を取ったが実に嬉しそうな顔で言った。
「……あんたにゃ及ばねェよ」
相変わらず獣じみてると一人毒づく。の膝が脇腹に入る寸前、捕えられたのとは逆の拳で弾いた。当たりどころから言ってあちらの方が衝撃を喰らっている、筈なのだが。
「そうこなくちゃ詰まらん、ほらもう一丁!」
言うなり消えた。不意に頭上、強い日差しが陰る。確かめるより先に右へ飛んだ。間一髪、苛烈な破壊音。乾いた空気に土埃が舞った。地にめり込んでいるあの足は本当に生身のものか。鉄でも仕込んでいるんじゃないのか。
「相変わらずはしっこいな!」
「そりゃ嫌味か…ッ」
残念ながら筋力ではとても適わない。勝機は、声高には言いたくないが、この小柄さと敏捷性。
再び襲いかかる剛腕を紙一重、弾く。弾いた腕が痺れる。しかし軽い。そのまま流して足を刈る。片足で精一杯だがそれで十分。重心の崩れた背に全体重をかけた肘を打ち込んだ。肺から空気を絞り出す音が聞こえた。続けざまに拳を、そう思った右頬に痛烈な裏拳を喰らって比喩でなくすっ飛ぶ。無様に転がりはしなかったけれど、衝撃に脳が揺れた。動きまで止めては餌食となるだけと分かっていたが、視線を下げないようにするだけでも無茶に吐き気を催す。
しかし相手も追撃まで余裕もなかったらしい。ゆらりと身を起こすのが歪む視界に映った。
土埃に紛れながら、冬獅郎を見たの顔が凶悪な笑みを浮かべる。心から楽しんでいる。この、一切手加減なしの、拳のやり取りを。
そう認めた瞬間、堪えがたい怒りの衝動が冬獅郎の中にこみ上げた。まずは目の前、に対する怒りだった。次にそれは他へ、何処へとも定まらず四方八方、てんでばらばら向かっていった。同級生、教師、自分自身さえも免れ得ず、ありとあらゆるものへ向かって怒りが爆発する。
馬鹿馬鹿しい。
どいつもこいつもくだらない。
こんな小さな箱庭に押し込められた自分たち、ガキ共が競ってどれほどの差だ。己のこの手、情けないほど小さな手がどれほどのものだというのか、目の前の男一人簡単には倒せないのに。
くだらない、くだらない。
熱いのはぐづぐづと煮える腹と突き刺す日差し。滝よりも止めどなく流れる汗に視界が霞む。
怒りに任せ、目の前の男へ躍り掛かる。拳が、脚が、ぶつかり合って骨を軋め皮膚を破く。明らかに相手の方が多く攻撃を受けていた。だのに、自分の方がずっと足にきている。暑さもある、長引けば不利になるばかり。
己の拳の軽さに歯噛みする思いで冬獅郎は更に身を捻り跳んだ。太陽を背にする角度に、の目が一瞬逸れる。ここしかないとばかり脳天へ踵を落とそうとして、目の前の全て、ぐにゃりと曲がった。まるで魚の目を通したように。
「―――、ぁ」
ぱかん、と竹を割ったのにも似てばかに小気味良い音だった。意識を失ったのは、だから、口惜しいことに拳を喰らった後なのだろう。
夏空に赤い飛沫が舞った。
*
目は開けなかったが身動ぎをしたので気づいたらしい。
起きたか、とその声はのものに違いなかったが、普段からは考えられないほど穏やかに、音量も落とされていた。
「気分悪いとか、ないか」
眩しさはない。風はなかったが、寝転がっている具合から察するに木陰の草むらだろう。目を固く閉じたまま顔に手をやれば鼻孔に荒っぽく栓がされていて、忌々しさに思わず唸った。
「………すんま、せん」
「謝らんで良いぞ、俺がぶん殴ったのだしな」
「…そうスね」
「ああ、まだ寝てた方が良い」
起こしかけた上半身を強く押される。頭に触れるのは人の腿。気配は冬獅郎自身との二つきり。つまり誰の膝を借りているかは明白で、その有り様を想像するだけで胃からせり上がってくるものがあるのだが、逆らえなかった。
「血が中々止まらないからちょっと焦ったぞ。日番谷はもしかして暑いの苦手か?」
「………」
「そう言えば氷雪系だったか、お前の力は。だったら無理もないな。でも入隊までにはもう少し何とかしておかんとなァ、いつもよりだいぶ動きも鈍かったし」
「………別に、」
「俺には関係ない、か?」
いつもの馴れ馴れしい声が幾らかの陰をもって冬獅郎の耳朶を打つ。
「まぁそう言ってくれるなよ。縁あって知り合った仲だろう」
たったそれだけじゃねェか、とまでは流石に言わなかった。ただ反論が面倒だっただけかもしれない。
手合わせ中、あんなにも怒りを煮立たせていた腹は今は凪いでいる。ただ単に草臥れて強い感情を持つ気力が湧かなかった。怒りにはかなりの熱量が要る。
暫くどちらも口を開かなかった。
相変わらず風はなかったが、瑞々しい草木のお陰で暑さはさほど気にならない。
そうして意外にも、先に沈黙を破ったのは冬獅郎だった。
「………なんでいっつも俺に構うんスか」
普段喧しい者が黙すのは居心地が悪い。この状況では尚更。話を振られてはあっさり返事を返す。
「別にいつもじゃないだろう。組も違うし」
冬獅郎は特進の一組。はその下の二組。総じて考えるならば確かに“いつも”は正確な表現ではない。しかしそんな単純に統計的な数字を言っているのではない。分かっていてわざわざ己の口から説明させるなら意地が悪い、と冬獅郎は眉根を寄せた。
しかしはぐらかされるのも癪で言葉を重ねる。
「組も違うのに、なんでわざわざ」
冬獅郎の問いには「俺の手合わせの相手になるのがお前くらいしかいないのだから仕方ない」とやはり事も無げに答えた。
「以前川崎とやったら腕を折ってしまって教師共に散々説教されたしなァ」
川崎、とは一組の生徒の名だった。名門貴族出で尊大だが実力もあり、人望もそれなりの、冬獅郎がくるより以前の主席。
今回の試験で返り咲きを狙っていたことは誰もが承知していた。目の下に隈を浮かべ冬獅郎の後ろに己の名を見つけた時の、呪い殺さんばかりの視線。もし視線に色がついていたなら冬獅郎の首は真っ赤に染め上がっていただろう。
「…あんた加減ってもんを知らねぇのか…」
「加減ばかりしていては修行にならんだろうが!その点日番谷相手なら心配いらん!」
「俺はあんた専用の組手相じゃねぇッ」
川崎とはほとんど全ての科目において僅差だった。冬獅郎が一で彼が二。だが単純な組手、その一つだけ冬獅郎は一の座を譲っていた。筋力だけの落ちこぼれと噂される、二組のに。そして川崎の名は三の位置にあった。
「まぁ、加減云々は取り置いてもお前とやるのは面白いしな」
恐らく、などと推測も無意味なほど明確に、冬獅郎が院で一番言葉を交わしている相手がだった。
冬獅郎が最高学年になったばかりの時、他が物珍しさと嫉妬とで遠巻きにしている中へいきなり「飛び級天才児ってどいつだー!?」と喚きながら教場に飛び込んできたのは記憶に新しい。それから名前を聞く間もなく手合わせに引っ張り出され、腹立ちに任せてぶん殴ったのは今考えても不味かった。先輩に無礼を、という意味ではない。それ以降、お前気に入った!と三日に一度組手に付き合わされる動機を与えてしまったことに、今更ながら後悔せずにはいられなかった。
が不意にひとつ伸びをする。
膝に冬獅郎の頭が乗っているなどと全く頓着せず胡坐の具合を直すので、ぐわりと意識が揺れた。静かにしてくれと切に思ったが言えばこの体勢を好んでいるかのように聞こえそうで止めた。
もう、血は止まっているだろうが。
退けとは言わない。
「うん、面白いぞ。日番谷は」
代わりに何か確かめるように繰り返した。
膝から見上げた視線と上から見下ろす視線がぶつかる。それは研ぎ澄まされた刃金と刃金が闇夜に閃き合うのにも似て、一旦尽きたかと思えた冬獅郎の腹底に潜む怒りに再び小さな火をつけた。
「………俺はあんたの暇つぶしの道具か?」
静かな怒りではあった。ただ種火は消えてなどいなかったらしい。その気配、冷ややかな霊力が濃度を増していくのに気づかぬはずもないだろうに、は何食わぬ顔をして、お前を道具などとは思っていないと言った。
「お前がお前であろうと、己の道を通そうとする様が見ていて小気味良いだけだ。誰に何と言われても揺るがないし、文句なしにそれを実現しているのが見事だ」
思わず目を見張った冬獅郎を全く余所に、独り言のようには続けた。
「うん、でもまぁ見ているだけと言うのも確かに意地が悪いな、スマン」
野放図。無神経、無遠慮。
しかしあっけらかんとした様に怒りを持続させることがいつも出来ず有耶無耶に終わる。
今のこの賛辞も謝罪もおよそ屈託というものがなく、この男の真意は一体何処にあるのかと何度目か知れないが思った。裏があるようには見えない。かと言って侮れば痛い目を見そうで真に受ける気になれない。
「…別に…俺に関わって、あんたに何か利があるってわけでもないだろう。それに…ただ本当に見てるだけでもねェ、し」
自分で自分に言い訳をしている自覚はあったが、から悪意を感じたことだけは、思い返しても確かになかった。
狭く守られ安寧な、だからこそどこか空気の澱みがちなこの箱庭。意図してでも望んででもないが、自分が飛んで火にいるなんとやらの役回りな自覚はある。そこにあっては冬獅郎と冬獅郎以外との境界を跨ぐ者だった。橋渡しなどではない。ただ気紛れにひょいと境界を跨ぐ。その身軽さは―――…嫌ではない。
しかし続く言葉には、脱力を禁じ得なかった。
「何を言う、さっき言ったろうが。見ていて楽しい、と!」
わずかに見直した、認識を改めた途端これかと。視線が胡乱げになるのも無理なからぬ。この男に限ってやはり裏はない、ただ無自覚で邪気がないだけだ。だから疑ってかかると勝手に疑心暗鬼に囚われるだけだ。
胡乱な表情の冬獅郎を全く余所に、拳を作っていつもの豪快な調子では更に言う。
「しかし俺は反省したぞ日番谷!これからは困ったことがあったら俺に言え、出来うる限り尽力しよう!」
「別に今更、ンなもん」
「遠慮をするなッ、お前にはこの間の考試の借りも山とある!その方面では俺の出来ることなど皆無だろうが、」
「…だろーな」
「だが全く役に立たんこともないぞ!例えば寮監に見つからんよう部屋を抜け出す方法やら美味くて安い飯屋の場所やら、六年間で培った経験が俺にはある!!」
「経験、ねェ…?」
「他には、そうさなァ。………川崎に苛められたりしたら、とか?俺も末席ではあるが、一応貴族だしなァ」
三日月のように弧を描く瞳の奥。先程冬獅郎の腹底に宿ったのと同じ、強い感情の火。二つの炎は交わり一回り大きくなったらしい。
冬獅郎がゆっくり、慎重に身を起こした。
人気のない修練場、獣も風も息を潜めているかのような静けさだった。今なら日差しさえこの場を避けるかと思う。
身を起こし無言で身体の具合を確かめる。何処も大事ない。鼻からの出血も完全に止まっているのを認めて漸く、冬獅郎は肩越しにを睨み上げた。
「…………俺はあんたの暇つぶしの道具じゃない。それにあんたの舎弟でもない。今度言ったらその腐った目潰すぞ」
氷より冷たい眼差し。物騒な言葉に、おお怖い怖いと肩をすくめながら、の笑みは益々深くなる。いつもの子供の笑みに違いはないが、子供故の純粋な残酷さを殊更強く浮がべて、箱庭の暴君は応えた。
「ご忠告痛みいる、精々心得ておくことにしよう」
それから徐に手を伸ばし冬獅郎の額に触れた。凶悪な笑みを利発な兄が弟に見せるようなそれへ変質させ、もう大丈夫だな、と呟き冬獅郎の手を取りぐいと立ち上がらせて後、己より低い位置にある冬獅郎の顔を覗き込み再度囁いた。忠告の礼に俺からもひとつ良いか、と。
「お前が俺の右目を潰すなら、」
太く荒れた手の人差し指と中指二本、の黒い目を指しながら。
「俺はお前の左目を潰そうかな」
冬獅朗の視界がぼやけるほど近く、碧の眼球に指は突きつけられた。瞬きすれば睫の触れるほど近く。
筋肉が硬直するのを冬獅郎は感じた。
一瞬か数秒か、どちらにせよほんの短い時間だったろう。
先にが指を外した。
視線も外しその広い背が見せられてすぐ、音が戻ってきた。どこか遠くで蝉のが声がして、日差しが土を焼きだす。
「それじゃあそろそろ戻るかー」
腹が減ったなとは笑いかけた。時間は既に昼時をかなり回っている頃だろう、指摘を受けて冬獅郎も空腹を覚え始める。暑さに負けがちでここ数日減退していた食欲が急に活力を取り戻したようだった。
「ここからなら旧市街の方の美味い飯屋が近い。愛想のない親父が一人でやってるんで随分小さいが。………さて、日番谷冬獅郎?」
先に木陰を出て、肌を突き刺す真夏の日差しをものともせず箱庭の子供が挑発的に笑う。
「お前と一緒に飯を食うには、道具でも舎弟でもなく、何となれば許されるかな」
同じ箱庭の子供はその問いにハン、と鼻で笑って応えてやった。
「ただ飯食うだけに肩書なんぞ必要ねェだろう」
追いかけるように日差しの中へ飛び出しさっさと追い抜いていく。ややあって後ろから呵々と声があがった。雲一つない夏空に声は全く遠慮なしに撒き散らされ、しかし良く似合っていた。
「おーい、冬獅郎!飯屋はそっちじゃないぞ、こっちこっち!」
2011/07/31
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