09.抵抗する


 休みで体が空けば二人で過ごす。休みが重ならない時でも互いに相手の部屋で帰りを待ったりする。運悪く顔を合わせない日も多くあるが、最初から約束もしていないのでどちらも気にしない。勿論会えるならそれに越したことはないが。
 自由になる時間の大半。ならない時間も或いは幾らか、二人で共有して、つまるところ彼らは恋仲である。

「…ッ、いー加減に観念しろ!」
「そりゃこっちのセリフだ!」

 例え今の二人がそうは見えなくても。
 むしろ取っ組み合いの真っ最中にしか見えなくても。

「いつまで経ってもガキみてーなこと言ってんじゃねぇ、このヘタ恋次!」
「誰がヘタレだ誰が!真っ当な主張だっつの、頭でっかちのア本馬鹿!」

 否、取っ組み合いをしていることは事実。そしてその二人が同時に恋仲であることもまた、紛れもない真実。罵り合う声は大きく当然周囲に筒抜けであるが、止めに入ろうとする者はいない。良くあることだから、と。
 そも恋仲となるまでの経緯からして周囲の注目をそれはもう大いに集めまくった二人であり、その後も何かと騒がしく今となっては周囲の方こそ慣れてしまい余程のことでなければ目を向けなくなっている。二人とも隊は違えどそれなりの地位にあることも君子危うきに、の精神を助長しているのかもしれない。

「単なる治療だって言ってんだろが!?」

 大人しくお縄につけとばかりガッツリ掴み合った、六番隊副隊長、阿散井恋次の手をぎりぎり押し返す女、は元四番隊隊士。それも五席まで上り詰めた治療の腕は誰もが認める所ではある。

「その薬のどこが『単なる』なんだ!?」

 そして現十二番隊第九席。
 十二番隊と言えば技術開発局。

「だっからただの目薬、」
「ただの目薬が煙を出すかァァ!!」

 恋次の叫びはいっそ悲鳴じみていた。

「ちょっと目新しいだけじゃねーか!」
「新しすぎるわ!古いので良い、古いので!!」
「別に変な材料使ってないって言ってんだろ!」
「完成品が変になってんだよ!気づけ馬鹿たれ!」
「特別調合だぞ!?人の好意に言うに事欠いて馬鹿とはなんだ、馬鹿とは!」
「お前の好意は好意じゃねぇッ、人を実験台扱いすんな!」
「あたしの腕が信じられねーってのか!?」
「前回そう言ってヒトの腹焼いたのどこのどいつだゴラァ」
「…あっ、お前一昨日あたしが置いといた饅頭食ったろ!あン時の貸しってことで、」
「饅頭一個で目ェ焼かれてたまるか―――!!」

 前回とやらの惨劇を思い出したか今一度馬鹿力を発揮した恋次に、掴み合いの軍配は上がった。ぐっと後ろへ押され僅かに浮いたの両脚を即座に刈る。崩れた上体。倒れかかるその手から毒薬だか劇薬だかが飛び出した。咄嗟にもう片方の腕が舌打ちと同時に伸びるが、

「させるか!」

 身長の差はリーチの差。危ういながらも間一髪、目標物は恋次の手の中に。しかし勢いそのまま握り込めば開いた口から中身が吹き出すのも道理というもので。

「あッ、あっちぃぃぃ!!」
「……あぁぁ、勿体ない…」
「じゃねぇよ何とかしろ熱ィ、てか痒ッ!?何か滅茶苦茶痒いぞこれー!!」

*

 室内は無音だった。まだかげる気配のない日差しの中、背中合わせの二人はどちらも互いに口を開こうとしない。むっつりと押し黙ったまま、横を通れば無人かと勘違いしそうなほどの沈黙だけが間を流れていく。
 先に動いたのは恋次だった。
 目薬もどきのかかった手が痒くて仕方がない。痒み以外は幸い(?)何ともないが、そもそも最初から被らなくて良い、余計な被害だ。掻きむしればその分痒みが増していく気がする。腹立ち紛れ、更に爪を立てようとして、

「掻くな」

 と、が横からその手を掴んだ。
 膨れ面はそのまま、無言で赤くなった部分に掌をかざす。見慣れた橙の光が患部をなぞれば痒みは嘘のように引いていった。
 視線が合う。光が消える。だがまだ無言と仏頂面で、沈黙が再び。

「………」
「………」

 今度はの方が先に動いた。
 落としたものとは別の目薬の容器を取り出すや、正座した腿をぽんぽんと。無言のまま。そしてそこにごろりと朱の頭を預ける恋次もまた無言。軽く頭を抑えて患部の右目を検分、目薬を一、二滴。眉間にしわを寄せた恋次が瞬きを繰り返す。全て無言。
 上からと下からと。暫し拗ねた視線を交わし合って。
 それからやっと、一文字にきつく結ばれた口から出たのは、

「頑固女」
「クソガキ」

 いずれも謝罪とは全く程遠い言葉ではあった。

「最初から普通のよこせっての」
「つまんね」

 形ばかりは。声に棘は微塵もなかった。

「ンなスリルは求めてねーよ」
「怖くて自分で差せないクセに」
「うっせ。そもそもただのものもらいだし」
「別俗称めばちこ、めいぼ。正式名称、麦粒腫または霰粒腫。まぶたの縁にある脂腺の急性化膿性炎症。原因となる細菌は主に、」
「あーハイハイ分かった分かった」
「ちゃんと聞け馬鹿阿呆恋次」
「寝てても良いならな」
「痺れたら落とすからな」
「飯もそんくらいの時間で良いだろ」

 そしてものもらいについてのの講釈が淡々と続き、子守唄代わりに恋次が寝息を立て始め、最後まで仲直りらしい言葉はどこにもなかった。しかし騒動が終わりを告げたことは、少なくとも二人の間では確認も必要ない。そもそも喧嘩であったという認識すら曖昧なのだから仕方がないとは周囲の言。ただのじゃれ合い、最早気にするのも馬鹿らしい、と。
 何しろこの二人には良くあることだから。
 痺れが切れたとが恋次の頭を無遠慮に落とし再びやり合うまで、暫しの平穏に周囲は胸をなで下ろした。

2011/06/11




ゴツイ男が目薬差せないとかツボだわ〜と思って…。
どっちかと言わずとも女主のほうがひどい。恋次はもっと怒って良い。
ものもらいのくだりはウィキせんせー出典。 ウィンドウを閉じてお戻りください。