お茶しましょ、と甘味片手に乱菊が八番隊執務室の七緒の元を訪れたのは、別に休憩時間でも何でもない時分だった。

「こんな処で油を打ってて、日番谷隊長に怒られるわよ」

 軽く小言を言いながら熱いお茶を差し出す。これは単なる礼義であり、七緒が是と言わねば乱菊が梃子でも動かないからであり、引いてはさっさと満足させて追い出すためであり、断じて甘味に魅かれたわけではない。断じて。

「良いのよぉ。今日は隊長、遠出してるし」
「それなら尚更、副官の貴方が隊舎にいないと駄目じゃない」
「それだから羽伸ばすんじゃない」
「…見解の相違ね」
「みたいね」

 ンなことより早く食べましょう、と促す乱菊に溜め息をひとつだけついて、七緒は大人しく従うことにした。
 自他共に認める生真面目な自分と、普段ちゃらんぽらんな乱菊と。昔は性格が合わないと衝突したこともあるがもう色々、諦めの境地。今では良い友人。違いすぎるから付き合えるとも、言える。まぁ長い命であるから色々ある、とは百年の内に副隊長まで任される身となった七緒ならではの言葉だった。

「七緒の方こそ、京楽隊長は?」

 乱菊の口から出た名前こそ、『色々あった』最たるものの名であった。先ほどより一層深いため息をついて貴方と同じよ、と忌々しげに答える七緒に、あらァそれはお気の毒さま、などと全く思ってもいない顔で乱菊が応じた。

「ほんのちょっと目を離した隙に、よ」
「大変ねー、京楽隊長の下ってのも」
「……日番谷隊長の苦労が偲ばれるわ」

 数十年越しの嫌味にもどこ吹く風。目の前の美女が微塵も堪えていないことは七緒も十二分に承知しているが、それでも始終奔放な上司に振り回されている身としては言わずにはいられない。隊が違っていて本当に良かったとしみじみ思う。八番隊と十番隊。この距離感がなければこうはいくまい。

「―――それと、貴方の部下のも、ね」

 死神の優れた感覚が捉えたものに、意趣返しの意味も存分に込めて、七緒は微笑み付け加えた。

「……げ」

 耳を澄ませば聞こえてくる。
 耳を澄ませなくても、もう聞こえてくる。

「ちょっと匿って!」

 自分の前のお茶と甘味の皿を素早く掴み、乱菊は奥の襖を行儀悪く足で開けた。

「何言ってるの、ちょっと」
「あいつに捕まると面倒臭いのよッ、この間の代替要員!都合してあげたじゃない、お願いね!!」

 言うなりピッシャンと襖が閉まる。緊急の代替要員、大したことではないが確かに借りと言えば借り。無視すれば後が面倒だし、ここで清算しておいた方が良かろうかと思案し始めると、

「松ッ本、副隊長ォ―――!!」

 悲鳴じみた叫びは男の太い、だが聞き苦しくはない程度に水の張ったもの。そして荒っぽい足音。ドタドタと執務室の前まで来て流石に一旦ピタリと止まる。
 息を吸って、吐いて。僅かに身だしなみを整えて。
 戸の向こう、一連の動作全てが手に取るように分かって七緒は苦笑を浮かべる。

「失礼します!十番隊、」
「どうぞ、君。入って良いわよ」

 遮った七緒の声に一瞬間を置き、それから戸がスパンッと勢い良く引かれた。

「伊勢副隊長…ッ!!」
「…残念、今日は来ていないわ」

 必死な目に罪悪感が生まれるが、ここは仕方ない。一方、七緒の言葉を疑いもしないはあぁぁ、と頭を抱えてうずくまり、悔しそうに歯噛みした。

「くっそー…今日は絶対ここだと思ったのに…ッ」
「あら…絶対って?」

 流石は副隊長と言うべきか(本来その能力を発揮するに相応しい時と場合ではないが)上手く隠れてはいるが、いることには間違いはない。興味をそそられ尋ねてみれば、これまでの傾向と分析の結果です!と握り拳の解答が返ってきた。

「前日までの逃亡場所の記録と日番谷隊長のご帰還予定時刻を考えて、今日はここが一番の出没地点だった筈なんです!!」

 鼻息荒いに思わず七緒の腰が引ける。少々暑苦しいと言うか、地声からして相当でかいのだ、この男は。傍でまともに聞いていては七緒の耳がもたない。

「…日番谷隊長は、朝から出ていらっしゃるの」
「はい!でもって松本副隊長もですッッ」
「それは…大変ね…」
「本当にもう。どれだけ仕事溜まってると…!!」

 まさに同じ身の上。いつも自分が口にしている言葉を他人から聞くのは予想外に涙を誘われる。思わず同情していると、

「松本君なら市街の方で見かけたよ〜」

 降って湧いた声は、頭痛のタネ。七緒の方の。

「京楽隊長!」
「市街地、ですか!?」
「うん。これ買ってる時にちらっとね」

 そう言って京楽が二人に掲げて見せたのは、京楽御用達の菓子屋の包み。特徴的で有名なそれを見間違う者は、少なくともこの場にはいない。

「吉澤屋の近く…。とすれば水羊羹の杭善か反物の鶴亀屋!!」

 店の名は、どちらも松本の贔屓に間違いなかった。ありがとうございます!と頭を下げ今にも走って行きそうなに向かって、貴方も苦労するわね、とやや大げさに同情を示したのは、彼の捜索対象を匿っているという罪悪感からか、或いは聞き耳を立てている(いなくとも聞こえているに違いないが)だろう彼女への嫌味のつもりだったか。
 きりきりと眉を吊り上げたまま、大仰な溜め息が八番隊執務室を満たす。

「ええはい、マジで…」

 勘弁しろ!と突然叫んだ。七緒の上体がのけ反った。

「俺だって仕事あんのに!いっつも俺ばっかり!!」

 血涙ものの訴えにハハハ、と京楽の呑気な声が重なる。

「下っ端は辛いねェー」
「た、隊長ッ」
「隊長が出られる日ってのは副隊長のお休みの日じゃないっつーの!」
「そう、そうね君。分かったからちょっと…」
「もう絶対、今日という今日は勘弁しませんッ、見つけ次第縄でふんじばって連れて帰って、椅子に縛りつけてでも仕事させてやっからなァァァ!!」

 叫び飛び出すを、止める術など七緒にありはしなかった。
 そして遠ざかっていく声を聞きながら、新たに背中へ圧し掛かってくるおどろおどろしい霊圧。音もなく襖が開く様は怪談話も斯くや。アレェそんな処に隠れてたの、と京楽の声のわざとらしいこと。

「あ…あのね、乱菊。今のはきっと、」
「上等じゃない、あのお馬鹿…!」

 気の毒に。
 七緒はそっと目頭を押さえた。

「一体どこの誰をふんじばるのかしらねぇ、戻るのが楽しみだわぁ。それじゃ京楽隊長、七緒。お世話様でした」
「はいはい、またね〜」

 美人は凄んでも美人。否、整っているからこそ一掃凄味が増す。一見軽やかな足取りが尚更怖い。
 自分が乱菊の頼みなど下手に聞かず最初から正直に話しておけば良かったのかもしれないが、今更遅い。自分が出て行っても話がややこしくなるだけ。確実にやってくるであろうほんの少し先の悲劇へ一時祈りを捧げて、七緒はすっぱり思考を切り替えた。

「さ、隊長もさっさと仕事に戻ってください!」
「えー?折角だしお茶飲んでからにしようよー」
「さっきまで出歩いてらしたんでしょう!?駄目ですっ」
「でも七緒ちゃんも松本君と休憩してたんでしょ?」
「椅子に縛りつけられたいんですか?」
「きゃ、七緒ちゃんたら大胆〜」

 早くも痛み始めた頭を一振り、落ち着きなさいと己に言い聞かせる。こちらもこうなのだ。他人にかかずらっている余裕はない。

「………一杯だけですよ」
「うん、ありがとねェ」
「その後は絶対、少なくとも今日中のものは全部仕上げていただきますからね!」
「勿論。七緒ちゃんのお願いとあらば」

 最後は無視して、それならば少しでも早く茶を入れようと手を動かしながら、本当に嫌になると七緒は呆れていた。仕事をサボる上司、には勿論だが、それ以上に自分に対して。嫌だ嫌だと嘆きながら離れることなど微塵も思いつかない自分に、呆れ果てる。

 ―――彼も私も、同じね。嫌になるほど似た者同士。

「あ、そっちは七緒ちゃんにね。お土産だよ」

 先程京楽の持ち帰った吉澤屋の包みに手をかけていた七緒の背に、京楽が声をかける。

「召し上がらないんですか?」
「いや、こっちの方が美味しそうだなァと思って」
「…ええ、先程頂きましたが、とても美味しかったですよ」
「久しぶりだしね、杭善の水羊羹」

 湯呑に茶が注がれる音に遠くからかすかな叫びのような音が混じった気がするが、七緒の気の所為に違いなかった。茶柱が立ちそうで、結局立たずに底へ沈んだ。

2011/06/09







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