11.マウントポジション
破ける、とは思わず自分の左胸に手を当てた。ドコドコ、ドコドコと、祭りの太鼓のように拍動する心臓は当然そんなもので治まるはずはなく、むしろ全身に伝染してしまいそうな気がした。掌から腕へ、足へ、そして今、の下にいるこの人にまで。
の真下から濁りない緑の目でを睨み上げるの思い人、十番隊隊長日番谷冬獅郎、その人へ。
(超、怒ってる…!!)
普段から眉間にしわを寄せている印象が強くて、副隊長の松本を怒鳴りつけるのも珍しくない。自身竦み上がるほど怒られたことも一度や二度ではなく、だからこそわかる。
これは相当、キている。
「てめェ……」
地を這うような、体の芯から氷漬けにするような声に思わずひぃ、と泣きそうになる。これが隊務中なら一も二もなく申し訳ございませんと土下座の一つしていることだろう。
だが、今ばかりは。
ぎゅう、と胸の前で手を握る。
「た…隊長がッ、悪いんですからね!」
涙目になりながらは叫んだ。腰の下でああ?とまたおっかない声がするが怯まない。怯むものかと覚悟を決めて、薄暗がりでもそれと分かる緑の目を睨みつける。の眉間にも同じくしわが寄るがこちらは力を込めていないと泣きそうだから。恐らくそんなことくらい日番谷はお見通しに違いないが。だって二人がただの上司部下以上の、特別な関係になってもう随分経つ。仕事に私情は持ち込まないと、日番谷の言葉にも異論はない。それでも二人きりになったときはさり気ない優しさを見せてくれるし、が自分で気づかない不調や不満すら思いやってくれる。そんな文句を言うところも見つけられないほど完璧な人ではあるのだが。
「い、ぃぃい、」
「………い?」
「いッ、いいつまで経っても何にもしてくれないからですよ!!」
爆発しそうな心臓を抱えて爆弾な発言。
怒りと恥ずかしさと怖いのと、もう一体何が理由で泣きそうなのか分からない。だがただ一つ、この行動の理由は彼にあると言うことだけは、間違いなかった。ぱちくりと瞬きする日番谷が憎らしい。
(人がこんなに悩んでこんなことする程だっていうのに可愛い顔してんじゃないッッ)
全くもって手前勝手な怒りに背中を後押しされて、はふんっと精いっぱい意地悪気に胸を反らして見せた。
「四番隊の同期から頂戴した特製、無味無臭の痺れ薬。如何ですか?」
確かに反らした胸に、双丘と言えるほどの山は、ない。顔だって不細工ではないと思うけれど、器量が良いとは言い難い。他もいたって普通、松本副隊長のような締まるところは締まって出るところは出て、な美女と並べば霞と消える、というか自ら消えたくなるではある。だが、それでもれっきとした日番谷冬獅郎の恋人だ。隣にいて良いと日番谷自身がそう言った。断じての都合の良い幻聴ではない。それなのにそれなのに、口付け以上されないとはこれ如何に。自分は女として魅力がないのか、隣にいて良いと言ってもそこどまりなのか。思い悩んだ乙女が一服盛る理由としては十分だろう、と。
酔ってもいないのに一人自由に思考を暴走させているの腰の下、しばらく呆気に取られたようにそれを眺めていた日番谷ではあったが、確かに痺れて動かないと理解したらしく全身を投げ出すように脱力して、それで、とため息混じりに呟いた。
「へっ?」
「それで?一服盛って、こっからどーすんだ」
「え、」
「どうしてくれるわけだよ?」
、と呼ばう声がいつもとは違う場所から聞こえて、というより骨を伝って響いて、背中がぞわぞわと粟立った。静かな呼吸音すら、密着した体勢故に腰へと直に伝わる。の動揺もまた同じく伝わったのか、にやりと日番谷が口角をあげた。
痺れ薬を盛られてマウントポジション。絶対的に不利な状況にあると言うのに余裕たっぷりなその態度。
(馬鹿にして…ッ!)
しっかり動揺させられながらも流石にカチンときて、こんにゃろー!とは勢いに任せて日番谷の衿に手をかけた。が、その途端。
「う……ッ!!」
肌蹴た胸元に、薄らついている筋肉。
普段目にすることのない、まだ控えめな喉仏。
ほんの少し、そられが露わになっただけ。ただそれだけであるのに、ぎしりと手が身体が固まった。
(な、なんなのこの色気は…!)
禁欲的な衿元が放つそれに眩暈すら、覚える。
(私より色っぽい、のでは)
勝てる気が、しない
の女としての、あるやなしやの矜持がバッキリ、根元から折れて砕けて舞い散る。金縛りにでもあったように身体が動かない。行動に移す前は色々と、それはもう綿密な妄想と言う名の計画を練っていた筈が、計画外の色香に中てられ全て綺麗に吹き飛んだ。頼りにする経験も元よりほぼゼロ。
「う、ううう」
衿に両手をかけたまま半泣きの唸りに、はぁぁとややわざとらしい、大きな溜め息が被った。身を竦めたのは普段の隊務で刷り込まれた、悲しい条件反射。
「ばーか」
だが続いた声は、確かに呆れてはいても矢鱈柔らかく。
「えっ」
顔を上げたの視界に日番谷の笑みが映った。
かと思った瞬間、それはぐるりと回って―――
「―――え、ぇええっ?」
頭をぶつけて顔をしかめる。そして再び目を開いた時には。
背に畳、腹の上に日番谷。つまり体勢は全く逆転。
「な………なんでっ?動けないはずなのに、」
薬に間違いはない。一度飲んだら一刻は痺れたまま、と四番隊のお墨付きのはず。信じ難い事実に目を白黒させるに、一瞬で主導権を奪い去った日番谷がもう一度、ばーかと繰り返した。
「毒ってのはな、解毒剤がちゃんと作られてそれで初めて毒として機能するもんなんだよ」
害ばかりでは使用する側とて安心して使えない。その理屈は確かにも理解できるけれど。
「ど、毒って!ただの痺れ薬ですっ」
「害意を持って盛りゃ立派な毒だろ。あー、やっと効いてきたぜ」
「効いてきたってどういう……ま、まさかっ!?」
こきこきと首を回し手首を振る日番谷がにやり、滅多に見ない艶っぽい顔で笑った。
「てめェの考えることなんざ端からお見通しだっつーの」
あらかじめ飲んでおいたと言う解毒剤。痺れ薬を盛ることも、それを四番隊から調達することも。一体いつから目論みを看破されていたのか怖くて聞けない。
「手クセの悪ィ部下には、どんな仕置きしてやろうか?」
さァて?と一層深くなった日番谷の笑みも。怖すぎる。
(なん…っちゅー凶悪ヅラ!でもって何なの、その色気はー!!)
ひぃぃ、と生きるものの本能か、思わず逃げようとするの腕が掴まれる。完全に形勢逆転。立っていればよりも頭一つ分低い日番谷だが、だからこそにも勝機の見込める計画だったのだが、こうなってしまっては文字通り手も足も出ない。肉体は成長過程でも上司。伊達や酔狂で隊長羽織はまとえない。
雪と同じ白さの頭が傾く。物理的にも精神的にも身動き一つ取れないの首元に、それは埋まった。左耳の後ろ、項に熱い息がかかってひゃぁと腰が浮き、同時に床へ縫い付けられていた腕も。力は強くとも体重自体は軽い日番谷。わずかに見えた隙だったが、凶悪な舌打ちに逃げようなんて考えはすぐさま霧散する。
「まだ残ってやがるな…」
手を握ったり開いたりしながら、忌々しげな声。
今更ながら毒、という言葉に罪悪感が、本当に今更ながら湧いてくる。
「で、でも解毒剤…」
「てめェが盛りすぎなんだよ。どーせ念の為とかって倍くらい使ったんだろ」
視線が斜め上に飛んだ。優秀なの上司は本当に、何もかもお見通しらしい。最早取り繕うことすら馬鹿馬鹿しくなるほど。
「流石は四番隊特製だぜ。お前も身を持って体験してみるか?」
凶悪な笑顔に浮く血管。の顎をぐいと掴む手は小さいのにびくともしない。
「うわぁぁん、許ひてくらさいぃー」
「遠慮すんな、お望みだろ?」
「うぅっひゃあ!」
ごめんなさい、といよいよ本気で泣きの入った謝罪も全く無視した日番谷の、もう片方の手があっさりの帯を時、その中へと侵入を始める。
「ん、む…!」
謝罪か制止か、開いた口をふさいだ日番谷のそれは火傷しそうに熱かった。声も何もかも呑まれて上顎をその熱いものでなぞられぞくぞくと肌を泡立てるのに、同時に力が抜けていくという、奇妙な感覚。ふあっ、と解放された途端、我ながら間抜けな声が漏れた。すっかり抵抗の意思を失くしたを見下ろす緑の目の奥、宿っているのは小さな火。欲に燃える、火。
当初の計画からは大幅に、というかむしろ逆走してしまったが、これは結果オーライというやつか。脳内を痺れさせる日番谷の、甘い甘い、だが紛れもない毒に中てられされるがままになりながらぼんやり思うだったが、それでもこれだけはと、ろくろく回らない舌でぽそり、訴えた。
「…さ、最初はノーマルにお願いします…」
2011/06/01
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