01.たたく


 人気のない土地に不細工な、しかし大きな霊圧がひとつ。

「…誘ってますね…」

 木立の裏、息を殺し潜んだ花太郎の隣でが囁いた。その声はごく小さく、ともすれば己の呼吸音でかき消されてしまいそうだった。そして少し波立っている。

さん、」
「駄目です。気づかれる」

 の左腕から流れている血の所為だった。致命傷とまではいかない。だが無視出来るものでもないそれを治療出来ないのは、すぐ近くで自分たちを探っている虚がいるから。
 霊圧を隠すほどの知能はないらしい。こちらの居場所を詳細に探り当てるほどの技能も。だから今こうして身を隠していられるが、もうわずかでも力を使えば。

「…大丈夫、です。直、応援が来るはずです」

 壊された無線機。その最後の発信が届いているかどうか、本当はどちらも確信がない。しかし今はそう信じるしかない。
 四番隊で戦う力に乏しい花太郎と、五番隊で末席を拝命したばかりの葉月と。そんな組み合わせで巡回の哨戒中わざわざ大物に出くわすなど己の不運がただ呪わしい。追われるうち最初の地点からも随分離れてしまった。或いはそれこそ虚の狙いだったのだろうか。
 埒があきませんね、わずかに遠ざかった霊圧に息を吐きながらが言った。

「私が、囮になります。その隙に花太郎さんは本隊へ走って救援を」
「そんな!」

 しぃ。
 思わず声をあげた花太郎に、それも予想していたのか、冷静な人差し指が口元に寄せられる。

「…なら、僕が囮を」

 暗闇の中、慣れた視界にが首を横に振る。

「分かってますよね?」

 私も花太郎さんも、走る速さは同じくらい。そして花太郎さんは四番隊。私は五番隊。

「でもさんは怪我を」
「だから速度も余計、落ちますし」

 正論は、本当は改めて語られるまでもない。ここで二人虚に立ち向かうより余程生還確率もあがる。
 でも、と尚も食い下がる花太郎に、また首を振っては微苦笑を浮かべた。聞き分けのない子供に言い聞かせるように、大丈夫ですよ、と拳を作ってみせる。

「末席と言えど私も席官です。そう簡単にはやられませんって」

 もうそこまで応援が来てるかもしれないし。
 少なからず血を失い青白い顔色で言うのはただの強がり。気休めにもならない。

「………行けない」

 分かっている。でもこの人を置いてなんて。四番隊の自分なのに怪我を治すことすら出来ないなんて。
 歯がゆさに一層、心が意固地になっていく。

「言うこと、きいて下さいな。花太郎さん」
「…僕の方が上官、なんですよ」

 一応、と言わずにいられないのが我ながら情けないが。

「なら尚更、判断をお間違えなきよう。山田七席」

 内にも外にも、退路は断たれた。行くしかないと理性は喧しいほど主張しているのに。足が、動かない。の傍から。ただ俯き袴を強く握りしめたまま。
 二人が制止していたのは多分、呼吸幾つか分の短い間だけ。ふぅっ、とため息が聞こえて思わず肩が跳ねた。見損なわれたか、愛想を尽かされたか。

「花太郎さん」

 顔をあげて下さい。
 いっとう優しげな声に声を詰まらせて見上げたはにっこりと、こんな状況であるとも思えない綺麗な微笑みを浮かべていて。
 こんな状況であると言うのに阿呆のように見とれてしまった花太郎の真正面。見つめ合って、

「歯ァ、食いしばれ山田花太郎ッ!」
「え、」

 パァンッと小気味良いほどの音。両手で挟む形に張られた頬。一瞬じぃんと痺れ、それから熱を伴い痛みが走る。

「…ッ、ッ」

 思い切り両頬を挟まれて言葉が出ない。反射でつむった目にじわり、涙が浮かぶ。と、その閉じた目蓋を何か細いものがぱさりとくすぐって、

 ―――ちゅ。

 アヒルの如く唇を突き出しながら目を見開いた。

「気合い、入りました?」

 目の前のの微笑みは先程と何も変わってないように見えるのだが。
 やたら可愛らしい音をさせて一瞬で離れてしまったあれは。花太郎の唇から離れたあれは。もしかしてもしかするともしかしないでも。

「な…な、なな何すッ、さんッ!?」
「さ、出ますよ」

 一瞬にして真っ赤に染め上がった花太郎の頬は、きっと暗闇の中でも一目瞭然だろうに。

「左に跳びます。虚がかかったら花太郎さんはすぐ右から行って下さいね」

 あっちももう気づいたみたいですし。すらりと斬魄刀を抜くに羞恥も逡巡も一切ない。

「まっ、待って下さい!」
「待てません」
「でもッ、今、のは」

 一体何のつもりかと問いただす前に本当にあったことかどうか確かめたい。伸ばした手の先、しかしするりと逃げた服の裾。続く言葉に目をむいた。

「冥土の土産」
「ん、なッ」

 振り向かない、そのまま紡がれた声は、小さく細く。風に細切れにされながら花太郎の耳に届く。

「になんて、させないで下さいね」

 木立の陰から飛び出した背は今度こそ止められはしなかった。



 背後でぶつかり合う虚と死神の霊力。細かい木々が手足を掻くのも意識すらせず、己の出せる限りの速度で花太郎は森を駆け抜ける。

 (言い逃げ、じゃあないか)

 そんなこと、絶対駄目だ。許せるわけがない。己にも、彼女にも。

 (冥土の土産になんて)

 させるものか。
 ぐぅッと強く踏み込む地面。また一段、知らず速度をあげて、花太郎は目指す本隊へ飛び込んだ。

2011/05/24




花太郎の強さって本当にどれくらい…。
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