02.つねる



るつぼ内にある玉露シリーズを先にお読み下さい。
※ナチュラルにその後の夫婦設定スマセン。









 ぎゅぅ、と突然頬をつねられたら誰でも驚く。思わず筆も止まろうと言うもの。元々さして進んでもいなかったが。

「………なんだろう?」

 つねられたままなので少しばかり語尾がおかしくなったが、意図はきちんと伝わったはず。しかし隣に腰を下ろすは無言だった。無言で、ぎゅうぎゅうと浮竹の左頬をつねっている。無論痛いので放して欲しいが刺さる視線が妙に威圧的で言いだせない。

「………固い」

 そのまま頬の具合を確かめるようにつねっていただったが、やがておもむろにそう呟いた。

「は?」
「柔らかくありません」

 何が。
 尋ねる前に更に強くつねられてあいたたと声をあげる。

「全然、柔らかくないんですが」

 もしや固いだの柔らかいだの、頬の事か。最初の当惑から漸う立ち直り始めた脳が何とからしい答えを導き出す。
 柔らかくないと再度繰り返す声が低い。目が何だか据わっている。止めなさいと怒るべきなのかな、などと考える時点で既に浮竹の感情は怒りからほど遠かった。

「………そりゃぁ、まぁ」

 男だし。年も年だし。柔らかい方が違和感あるだろう。
 目の前のが納得いかないとばかり拗ねた表情を崩さないままだからだろう、至極もっともな理由を挙げているのにまるで言い訳のように聞こえる気妙さに苦笑しながら、ふと思いついて浮竹は筆を置き右腕を伸ばした。

は柔らかいな」

 自身がされているよりは余程、つねるという言葉に相応しくないほど優しく大事な新妻の左頬に手を添える。予想した通りしっとり柔らかく、むにむにとした感触のそれは浮竹を良く楽しませた。向かい合って頬をつねり合うという、一見犬も喰わない、夫婦喧嘩の真っ最中かと取られかねない有様であるのに、片方がそれはもうあからさまににこにこと上機嫌に微笑んでいるものだから、もしこの場に事情を知らない第三者がいたなら頭を捻ることは間違いない。それくらい奇妙な光景ではあった。
 そしてさて反対につねり返されたはと言えば。自身の右手を放すでもなく浮竹の手を振り解くでもなくやはりそのまま、表情はしかし対照的に眉を寄せてぶすくれ、何で、と呟いた。

「うん?」
「何で?」
「何が?」
「朝昼晩三食きっちり食べて、三時のおやつも欠かさないのに…」

 全然少食じゃないし、と言うか全く同じ食事なのに。尋ねた浮竹へ独り言のように返ってきた不満げな声に、未だぼんやりとながらやっとこの唐突かつ理不尽な行動の背景が見え始め、浮竹は眉を下げた。

は料理上手だからなァ」

 毎日美味しいものが食べられて俺は幸せ者だ、と言った笑顔を疑う者は誰一人としていまい。そんな顔だった。

「京楽にも羨ましがられたぞ。ほらこの間来た時の若竹煮、あれは絶品だったって」
「それは、まぁ……どうも」

 あんまり手放しで褒めそやす調子に気恥ずかしそうに、しかし褒められて悪い気もしないだろう、もごもごと口の中でだけ返す。だが一旦掲げた不機嫌のポーズをあっさり下げるわけにもいかないのか、まだ半分以上不服そうなの上目遣いにふっと笑みがこぼれた。可愛いなぁと、声には出さずとも全身でそう語りながら、浮竹は左頬から手を放して撫でる。

「労を惜しまないから何でも丁寧で美味い。レパートリーも多いし、盛りつけも綺麗だし」

 きゅっと、こちらは依然としてつねられたままの浮竹の左頬に走る甘い痛みは、多分照れ隠しだろう。じわじわの頬を浸食していく朱に一層浮竹は笑みを深くする。

 ―――可愛いなぁ。

 年も随分離れて今更ながら迎えた新妻が、浮竹は可愛くて仕方がない。
 初めて会った時からそう思っていたが、いつの間にかその感情は仕事上の付き合いの範疇を遙かに超えて、朝に夕に眺めていても良い関係になった今はもう猫可愛がりと当の本人に言われてしまうほど。我ながら、と思わなくもないが可愛いものは可愛いのだから仕方がない。何をしていても言っていてもそう繰り返す浮竹は自重という言葉を知らないわけではないが、自重する理由自体を思いつかない。好意を伝えて相手からも同じ感情を返されて、尚更どうして自重せねばならないのか。
 正面から見つめ合う体勢を今では有り難く利用して、すべすべした感触を存分に堪能していた手だったが、そういえば、とわずかな違いをようやっと浮竹に伝える。

「前よりは、ふっくらしたかな?」

 ぶすくれながら照れながら、浮上しかけていたの機嫌がしょん、と途端萎れる。ああしまったと思いながらコロコロと表情豊かなのがまた可愛いと一人勝手に胸をほっこりさせている辺り、大概末期ではある。

「………分かりますか」
「そりゃあ毎日見ているから」

 ずっと浮竹の左にあった手が落ち、自身の右頬を確かめるように撫でた。

「………丸いのは、見苦しいでしょうか」
「まさか」

 まさか、ともう一度、浮竹は穏やかながらきっぱり否定を繰り返す。痩せた方が良いですかと尋ねるのにもゆるゆると首を横に振った。

「健康であれば何でもいいよ。なら、何でも」

 朝に夕に、傍にいて笑っていてくれるなら何でも。

「一緒の食事は楽しいし。甘いものを食べてる時のは幸せそうで見ていてこっちまで幸せになるしなァ。それに太ったと言っても以前と比べて、だろう?元々随分細かったんだし、むしろもうちょっと肉厚的なほうが夜のことを考えると、」
「わっかりましたもう結構、十分です!」

 言いながら頬から耳、耳から首、と徐々に下がって行く浮竹の不埒な右手を今度こそ引っ剥がして真っ赤な顔のが遮った。

「うん?そうか?」
「ええ、はい…取りあえず…」

 安心しました。
 浮竹の右手を大切そうに、幾分小さな両手で包んで言う。その顔はまだ赤いままだったが、浮竹に勝るとも劣らない幸福そうな笑みが浮かんでいた。
 「可愛い」が「綺麗」へ一変するその笑顔は見覚えがある。あれは、そう、同じ性を名乗るに至った時初めて見せた、あの微笑み。

「そうですね…少なくともあと半年は丸々していく予定なので、その点よろしくお願いします」
「……ンん?」
「名前とか考えておかないと。あ、性別って前もって教えてもらった方が良いですか?」
「……え。えっと。ちょっと待ってくれないか?一体何の話だ、というか?ぇぇえ?」

 話題の転換についていけない。いや、ついていけないこともないのだが理解が及ばないというか、ごく普通の大福にかぶりついてみたところが実はそれが苺大福だったというような、そんな戸惑いが。
 慌てふためく夫の前で、彼の大事な妻はふふふ、とそれはそれは幸福そうな微笑みを浮かべた。

「これからは三人で美味しくご飯を頂きましょうっていうお話です、よ」




玉露の君 と 福音

2011/05/23




「食の幸せ」が裏テーマのシリーズです。嘘です今考えました。
浮竹先生の愛用筆記具は筆です。書き終えてから考えました。
可愛い可愛い言い過ぎです。そんなん思ってる浮竹先生が一番可愛いヨ!
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