二月十四日なんて永遠に来なければいい。
 そう思う男共は毎年山といる。
 ンなもん現世から持ち込んでくるんじゃねぇとの言葉に、三番隊副隊長、吉良イヅルも大いに同意する。
 最初に断っておくが、例の贈り物をひとつも貰えないわけではない。むしろ用意した袋がパンパンになるくらいには、何かしら貰う。例えその半分、否、四分の三が義理だとか日頃のお礼だとか贈り主の名前が明らかに野郎のものであるとか、であっても、数が多い事実は間違いない。
 それでもイヅルは、もうかなり前からこの日が憂鬱だった。
 こうした賑やかなことが得意な性質ではないし、祭りは一月後までひそやかに続く。律儀な性格と言うか幼少から受けた躾がこの場合災いして、貰った分だけのお返しを用意するのも正直面倒くさい(野郎への分は無論ないが)。
 中には稀ではあるが、きちんと好意でもって送られるものもある。嬉しいとは勿論思うけれど、心動かされる程ではない。本当に心が動かされたい相手からは、決して貰えないから。義理以外は。
 五番隊の副隊長、雛森桃は女性らしくこうした季節の催しものにはいつも楽しんで参加していて、毎年イヅルにも必ずお菓子をくれる。霊術院からの付き合いに同じ副隊長と言うこともあって、他の五番隊隊士などよりはよほど良いものではある。はじめて貰った時は文字通り天にも昇る気持ち、だった。が、あくまでも、義理。彼女の本命は毎年自隊の隊長に捧げられ、それはもうお菓子本体はもとより、包みから何からイヅルが贈られたものなど比べるべくもない手の込みようである。

「はぁ」

 真っ暗な帰り道、袋を下げた手がだるいなぁと息を吐く。白い霧が夜空へ上っていった。
 今夜は殊更冷える。温かいものが食べたいなぁと一人胸でごちた。
 分かっているのだ、彼女の世界は藍染隊長を中心に回っている。自分が何も動かないのにこちらを見て欲しいなど、虫の良い話だとも。
 あんまり長い時間が過ぎて、実のところ半分くらい諦めているというか、現状を受け入れてもいる。雛森は優秀な同僚で、決して友人の多くない自分にとって、もう一人赤毛の男と合わせて大切な存在だ。今更下手を打ってぎくしゃくするのは絶対に避けたい。つまるところ全て、イヅル自身の問題だった。告げる勢いを失った思いが中途半端にくすぶっていて、この時期になるとその思いがまた半端に再燃するから、だからイヅルは二月十四日は憂鬱な胸の内を抱えて何時も帰路に就く。

「只今戻りました、と…」
「お帰りなさいませ」

 小さくはない屋敷の戸を引いて、イヅルを出迎えたのはだった。
 はイヅルの乳母の息子、つまり乳兄弟というやつで、俊も少ししか違わない。昔から何をするにも一緒ン所幼馴染は、成長して後も乳母同様吉良の家に仕えてくれている。その乳母もイヅルが死神になる前に亡くなったから、立場は違えどよく似た境遇と言えた。

「随分おっそいお帰りですねぇ…」

 上がり框に腰を下ろして草履を脱ぐ背に、何だかやけにジトついた声がかけられた。
 生まれたのはわずかにの方が早く、小さい頃は体の強くなかったイヅルを弟のように思って兄のように振舞っていたは、イヅルに対して遠慮と言うモノをついぞしたことがない。

「あー…また隊長がどこかに行っちゃってね…」

 今日中に終わらせられなかった仕事の山を思ってイヅルはまた大きなため息をついた。心から尊敬する隊長だけれど、あのサボり癖だけはいただけない。

「ンなこと言って、どっかで可愛い女の子と宜しくやってたんじゃないんですかぁ?」
「はぁ?」

 ほらこれこの贈り物の山!とイヅルが持ち帰った袋を指さしが吼えた。

「俺はッ今年もッ近所のおばちゃん以外には貰ってないのにッッ!!」

 本気で悔しそうなに、本日最大のため息が吐き出された。

「多くたって、内容は似たようなもんだよ…」

 真面目に返すのも面倒くさい。
 それより夕飯にしてくれない、昼から何も食べていないんだと口にすれば改めて空腹が酷くなる。甘いものは嫌いじゃないけれどそれで腹を満たせるほどではない。
 まだぶぅぶぅ言っていただったが、それでもいつも通り荷を預かり先を歩きだす。

「今あっため直しますよ」
「今日は何?」
「おでんです。良い大根貰ったんで」

 ちなみにそれが八百屋のおばちゃんからの贈り物です。俺にって。
 思わず吹き出したらギロリと睨まれ慌てて口を抑えた。

 死覇装から寛いだ部屋着になって、漸く人心地つく。見計らったように温かなおでんを出されて、唾が出た。

は?」
「もう済ませましたよ」

 では早速、と件の大根にかぶりつく。芯まで染み込んだ出汁が口から胃袋から草臥れた全身を解すように温めてくれる気がした。は料理が上手い。乳母仕込みだった。
 イヅルの両親が相次いで逝って、吉良の家は随分とごたついた。貴族としては中級でそこそこ歴史というものもあるが、暮らし向きが豊かだったわけではない。まだそんな年でもなかった乳母が逝ったのは病が原因だったが、半分は心労が祟ったのだとイヅルは思う。器量良しではなかったが兎に角明るくて笑顔が絶えない彼女が、イヅルはとても好きだった。両親はどちらも昔気質の如何にも貴族で、冷たくはなかったが厳しくもあった。寂しさに泣くイヅルを慰めるのは常に乳母と、乳兄弟のだった。二人はよく似ている。顔もだけれど何より雰囲気が。

「明日は休みですか」
「うん。一本つけてくれる?」
「…一本だけですよぉ」

 そう言って本当は尋ねるまでもなく用意されていた一本を持ってきてくれる。
 吉良の家が少しばかり傾いて、元から多くない使用人たちのほとんどに暇を出さざるを得なかった。その時も、たちは何を求めるでもなく傍にいてくれた。詳しく聞いたことはないが、の父親もまた死神だったらしい。が生まれる前に殉職して、だから帰る場所が他にないからここに置いて下さいと、本当ならイヅルが下げる頭を二人に揃って下げられて、泣かないでいられるはずもなく。
 父母の残した屋敷を人手に渡すことなく、また必要以上に他人の力を借りることもなく、今日までやってこれたが二人のおかげであることは間違いない。

「どうですか、大根」
「流石、美味しいよ。価値がある」

 僕のあんなのよりよほど、と茶化せば干し柿ありますよと凶悪に微笑まれスイマセンと返す。

「しっかし今年も、大漁ですねぇ」
「うん…好きなの食べなよ、
「やった!」

 言えば早速袋の中を探りだした。
 イヅルと違って甘いものが大好物のは何だかんだ言いつつ毎年この行事を満喫している。贈り主たちもその半分以上が本人ではない男に消費されているとは思うまい。言う必要もない。
 浮かれ気分で包装を破りながら、それでも来月の為に贈り主の名前を逐一書き記していくあたり、もかなり手慣れている。

「俵崎、平八郎…っと」
「あのね…男からのは良いから」
「何でですかぁ。お返しはちゃんとしないと」

 その面倒を一手に引き受けてくれるのはほかならぬなのだから、これくらいの意趣返しは甘んじて受けるべきなのだが。これも毎年のやり取りだった。
 やれやれと、それでも帰る前よりずっと凪いだ心地で今度はがんもを頬張る。こちらも文句なし。酔いも良い具合に回って、強くない体は既にふわふわしてきている。

「……がいれば、お嫁さんとかいらないよなぁ…」

 ごふっと盛大にむせかえる音がした。
 げほごほと苦しそうな背中を何やってんだいとのんびりさすってやる。

「な…にを、言ってんですか…」

 ようやく喋れるようになったがねめつけるが、だって十分じゃないかとトンと呑気にイヅルは返した。

「家のことなんか、もう僕以上に分かってるし。料理も掃除も、隊の若い子なんかじゃ勝負にならないくらいだし」
「何年もやってりゃ誰だってそうなりますよ」
「器量は、まあ、アレだけどさ」
「アレな器量で悪かったな!」

 噴火も酔っ払いには恐れるものではない。飲んでもないのに頭痛を覚えるのは何故だとは唸った。

「俺の野望はブスじゃないくらいの優しい嫁さん貰って、そこそこ幸せに暮らして、良いジーサンになってポックリ畳の上で逝くことなんです!いつまでもイヅル坊ちゃんの世話ばっか焼いてるつもりはありませんからね!!」

 イヅル坊ちゃん、といつもは盛大に顔をしかめられる呼び名を嫌味のつもりで口にしたが、酔っ払いは気づいているのかいないのか、笑いながらなら早くそうすれば良いじゃないかと言った。

「ここを出て一人で暮らせるくらい、給金だってなら十分貯められてる筈だし、お嫁さんだって探せばいるだろう」

 僕だってもう子供じゃない。

「れっきとした護廷の死神、三番隊副隊長なんだよ」

 今度長い長いため息をついたのは、だった。

「酔っ払い…」

 全くからっきしなんだから、とその手から猪口を取り上げるがろくな抵抗もない。膝を抱え頭を埋め、なにやら聞き取れない声でぶつぶつ言っている。
 イヅルが酒に強くないことなんて勿論知っている。特に疲れた日はこうして厄介な酒になることも。

「はいはい、もうお休み下さいよ」

 面倒臭ぇなぁと言いながら酒を飲ませたのは自分だったと、少々乱暴に体を引き起こす。
 副隊長だの何だの、にとっては雲の上の話過ぎて良く分からない。何の身分もない自分がこうして貴族様と気安く接していることすら本来なら許さることではない。
 けれどそれを気にしたことはない。
 気にしなくて良いようにしてくれたのは、イヅルの父母だ。
 自分たちはあの子に教えなければならないことが多く、対して時間はあまりにも少ない。だから貴方たちがあの子を泣かせて甘やかせて慰めてあげる役目を。
 イヅルの両親は、どちらもそう身体の丈夫な性質ではなかった。イヅル自身、今では立派な死神だが小さい頃はしょっちゅう寝込んでいた。

「お父上からもお母上からも、ついでにうちの母ちゃんからも、よろしく言われてんですから」

 抱え上げた身体がごつくて固くて、しっかりと脈を打っていて、は泣きたくなった。色んな意味で。

「坊ちゃんが早く嫁さん貰ってくれなけりゃ、」

 問題の多い隊長に日々振り回されているらしいことも知っている。隊舎に泊まり込みを余儀なくされて着替えを持っていったり胃に優しい差し入れをしたり、なければきっと真面目なイヅルは潰れるまで仕事をするだろう。或いはそれより先にイヅル自身が切れるか。
 そんな面倒なアレコレを任せられる、良い人をイヅルが見つけるまでは。

「俺が坊ちゃんより先に嫁さん貰うわけにゃいかねーんだから、よ!」

 酒臭ぇし!!
 布団に放りだした奈良漬が腰を打って唸ろうと翌日頭痛に泣きを見ようと、の知ったことではない。
 それでもきちんと布団をかけてやって、は台所へと向かった。
 一本つけよう、やってらんねぇ。
 寒い夜は熱燗に限る。幸いにもは甘いものをつまみに酒を飲める男だった。

2011/02/14







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