浦原商店、地下勉強部屋にて

 茶渡がその大きな身体と共に地面に倒れ込んだ。
 限界だと恋次は斬魄刀、蛇尾丸を地に下ろす。卍解を解く自分に、修行を見守っていた喜助は無言だった。茶渡を介抱するテッサイたちにも何も言わない。成長の前の限界か、それ以外の限界か、喜助の判断は的確だった。
 通常形態に戻った斬魄刀を鞘に収めた途端、どっと肩にのしかかる疲労。茶渡は、手強くなった。元から体力においては一目置く水準だったが、今では潰すのに相当な時間がかかる。そも、潰されなくなってきた。
 ―――これから益々、強くなる。
 血の沸き立つ焦燥感、武者震いを覚えるあたり、我ながら元十一番隊らしい。

「お疲れ様ッス、阿散井サン」

 今日はこれで終いだと、喜助が言った。現世の水筒、ぺっとぼとるとか言うらしい、を受け取り一気に流し込む。軽くて漏れにくい便利なもの。

「如何ッスか、茶渡サンの調子」
「見ての通りだよ。まだ足りねぇが…悪くねぇ」

 きっと更木隊長が見たら面白い玩具を見つけた子供のように飛びかかっていくに違いない。喜助も異存ない、といった風に頷く。視線の向こう、テッサイに担がれていく茶渡。先を行く子供たちの他に、あと一人。
 自分と同じくこの浦原商店に世話になっている男の姿を認めてつい眉が寄る。彼が茶渡と自分の修行を見にくるのは珍しいことだった。

「なぁ…浦原さん」

 あいつ、って一体何者だ?

「おんやァ、阿散井サン…まだお約束の三ヶ月じゃありませんよ?」

 三ヶ月雑用係を引き受ける代わり、質問に答える。勿論その約束の内容はちゃんと覚えているが。

「良いだろ、少しくらい…他にも聞きてえことは山とあるんだ。途中で放り出したりしねえよ」
「そうっスねェ…」

 わかんねェ事ばっかなんだよ、アイツ。
 憮然として恋次はため息と共に漏らした。
 浦原は答えると言ったわけではない。答えが欲しい、と言うよりはむしろ、誰かに言いたいだけかもしれない。

「最初顔合わせた時にゃあっさり後ろ取られるし、一角さんたちも、詳しく知らねぇけど出し抜かれたとかなんとか」

 こちらに派遣される際、穿界門で顔を合わせた時にはえらく鼻息を荒くしていた。強さに対する彼らの嗅覚には、ついぞ間違いがない。藍染に一矢報いたとすら聞いた。

「なのに十九席ってよォ…」

 あの男の正体、について考える時、いつも思うのは四十年前のことだった。
 問うつもりはない。四十年前、自分たちを助けてくれた死神はお前かと。忘れろと言われたからではない。明らかにしたくないのは、あくまでも恋次の意思だった。
 間近で初めて見た死神だった。確かに怪我で意識は朦朧としていたが、鮮烈な強さは幼い自分にとっての密かな目標になった。
 ルキアには言わないが、死神になってから彼を探したことがある。見つけて礼を言いたかった。あんたのおかげでこうして死神になったと。そして出来ることなら刃を交えて己の強さを示してみたいなどと、今思えば随分独りよがりな考えではあったが。
 だが早々に諦めた。対象とする母集団はあまりに大きすぎたし既に護廷に席を置いていない可能性もあった。ルキアと違い斬魂刀の名も自分は知らなかった。
 それに、思い込みたかったのかもしれない。あの時自分を救ってくれた死神は、自分の手が容易く届かないような高みにあるのだと。白哉とはまた別の次元の、揺らぎない目印であると。

「おかしいだろ、やっぱり」

 その男が、十九席などと。
 否、真実十九席相応ならこうは思わない。大切な記憶だが、あくまでも過去のこと。子供の目にそう見えただけと納得するは容易い。少し、空しくはあっても。
 だがこの男は違う。上にいけるだけの力を持ちながら敢えて下に留まっている。その選択が恋次には、納得出来ず腹立たしい。自分はこんな男を目指していたのかと。勝手だと重々承知しているが、手酷い裏切りにも感じた。

「…あんたらの知り合いなら、ややっこしいのもしょうがねェのかもなァ?」
「かもですねェ」

 皮肉のつもりの言葉にハハハと笑うこの男は本当に、人の神経を逆撫でするのが上手い。愉快そうな声がまた苛立たしい。

「…なにせサンとは、長い付き合いッスから」

 だがその目が遠く、たちの出て行った出口よりずっと遠くを見ると同時に、声が昔を懐かしむ調子になった。

「長いって、どれくらい」

 話してくれる気になったのかと尋ねてみれば、忘れちゃうほど長いですね、とまた微妙にはぐらかされた答えが返ってくる。ならばこちらも、と質問の方向を変えて出る。

「その頃からあんなんだったのかよ」
「ええ。まだ多少は短かったかもしれませんが、尻尾もむさ苦しいのも、あんなもんでしたねェ」
「ああそう…ってそこじゃねぇよ!」

 吼えた恋次にまた喜助が肩を震わせる。逐一吼えるからこうなるのだと、分かっていながら流すことが出来ないのは相性の悪さというか。喜助の方も知ってやっていると分かるからなお一層癇に障る。

「……強かったッスよ、昔からサンは」

 けれどやはり今日の食わせ者は、いつもとどこか違って。
 声が湿っぽい。

「アタシも良くこてんぱんにノされたもんです」
「あんたが?こてんぱん?」

 元十二番隊隊長。その男をして強いと言わしめる実力とはやはり。

「ま、それも昔の話で。アタシの席次が上がるにつれて相手してくんなくなっちゃいましたが」
「…だっから結局どうなんだってんだよ!?」

 もうほんとこいつやだ!

サンの実力がどうかなんて、アタシが言うまでもないんじゃないッスか?本当のとこ」

 ひとしきり笑った後の喜助にしかしそう言われて、恋次は黙らざるを得ない。指摘は正しい。結局誰に保証されようがされまいが、の強さについて恋次が思うところに変わりはない。あの男は強いと認めた自分の勘を、恋次は信用している。

「…俺が知りてぇのはあいつが、そんだけ強ぇのにどうしてそれを隠すような真似すんのかってことだ」

 強くあることは死神にとって義務でもある。存在意義でもある。
 隠す理由が分からない。腑に落ちない。気に食わない。

「あんたはその理由を、知ってんだろう」

 目一杯睨みつけてみても到底堪えた様子はなく、さてさて、と呑気な声が返される。ここまできて誤魔化されてたまるかと正面から見据えた恋次に、ふと喜助は笑みを返した。先ほどまでの人を喰ったものではなくて、どこか眩しいものを見るような笑み。ひらりといつもの扇子が泳ぐ。

「知っていると言えば知っている。知らないと言えば知らない……」
「おい」
「別にはぐらかしてるわけじゃないッスよ。詳しい事は分からないんです、アタシも…サン自身も」
自身も?どういうことだよ」

 再び喜助の視線が、の去って行った出口へ飛んだ。

「…記憶がねぇ、ないんだそうですよ。昔の」

 記憶がない。それは、つまり。

「記憶…喪失?」
「そう大げさなもんじゃないそうですが。死神になるまでの記憶ってのが酷く曖昧だと」

 上手く想像の出来ない話だった。
 今まで五十年、個々に思い出せないことなど勿論沢山あるが、それでもずっと記憶は途切れず連続している。それとも、もっと長い時を過ごせば良くあることとなるのだろうか。考えたこともない。

「…あの人はですねぇ、昔っから困ったお人で」

 急に黙り込んだ恋次をどう思ったかは不明だが、わずかに声の調子を軽くして喜助が言った。

「暇があると、すーぐ外に出てウロウロしちゃうんですよ」
「…は?ウロウロ?外って…」
「ふらっと一人で行っちゃうんです、流魂街へ。しかも七十だとかの荒れたところばっかり」

 昔は良く気を揉まされました、と続く言葉は耳に入らず。恋次が息を呑んだのに果たして喜助が気づいたかどうか。
 流魂街。荒れた区域。
 それは四十年前にもあったことだろうか。あったのだとしたら、あれはやはり。

「そのウロウロする理由が自分でもよく分からないってんですから、本当に困っちゃいますよねぇ」
「…なんだそれ…」
「つまりまぁ、そう言うことッス」
「はあ?」

 ずっとそのままでいる理由を、あの人こそ探してるんですよ。
 己が変化を拒むその理由を。
 何が己を、当てない彷徨へ誘うのか。

「……わけわかんねぇよ……」
「アタシも同感です。ただ分かっているのは、あの人は結構な我がままで、その我がままを通すだけの力を持ち合わせてるってことッスよ」

 ずっと何年もの間力に見合った責務を果たさず、ただ自分の求めるまま突き進むことを選ぶだけの力が。
 水筒の中身がぽちゃんと音を立てる。疾うに温くなった残りを煽り、恋次は嘆息した。

「あんたら……やっぱり似たモン同士だぜ」

 言われた喜助が、目深にかぶった帽子の奥で目を見開いたのが分かった。ほとんど初めてこの食わせ者を出し抜いたのかもしれない。たいして嬉しくもないが。

「…似てますかね?」

 類は友というやつか、それとも長くいたから似てきたのか、どちらにしても同じこと。自覚のないのには呆れを感じる。

「言っとくけど褒めてねぇからな」
「いえ…嬉しいわけじゃないッスけど…全然」

 確かに嬉しそうではないが、動揺はあるらしい。似てるかなぁ、としきりに首をかしげながら出口に向かうその後ろに続きながら、恋次はふと浮かんだ疑問を口にした。

「なんで…教えてくれたんだ?」

 人の疑問にまず素直には答えない男。自分で答えを見つけ出せという信条だとかは恋次の知ったことではないが、これが珍しい行動であるくらいは憶測がつく。ましてや他人について、本人の預かり知らぬところであれこれ言うことなど最も嫌う性質だろう、きっと。
 そんな男が何故今回に限って。しかもにとっても恐らく随分個人的な―――おいそれと他人に知られたくはないであろうことを。
 恋次の疑問に喜助は振り返らず、だが足は止めて、なんででしょうねとごちた。口を滑らせたと悔いている風ではない。

「たまには…先の読めない勝負ってのも良いかと思いまして」

 はぁ?と背後で恋次の声が聞こえたが、喜助は振り返らなかった。
 少し前には一護が、先日はルキアが、今日の恋次と同じく尋ねた。とは何者かと。ルキアに尋ねられた時まではまだ考えが及ばなかったが故に答えるのを避けたが、転機かもしれない、とここ最近になって喜助は思いを改め始めていた。
 きっかけは藍染と崩玉と。決して望ましいものではなかったが、は表舞台に引きずり出されつつあって、自分たち以外の者が彼を知り興味を示し出している。

 夜一と自分とと。
 三人の関係は既に完成しきっていて、外側から崩されることもない代わり内側から動かすことも出来ない。その事実に不満はないしこれからも望むものではあるが、もしも風が―――深く沈む彼の人の意識を掬いあげる強い風が吹いているのなら、拒むべきではない。
 自分や夜一には見つけられなかったの探し物を彼らが見つけてくれるなら、その為の助けになるなら話しても良いと思った。本当は喜助の知っていることなどたかが知れているのだが。
 無益無害に思えて存外に灰汁の強い男相手の勝負、どう転ぶかは分からないが多少の援護は大目に見て貰ってしかるべきだろう。使えるものは全て使い切るのが喜助の信条でもある。

2011/03/10







top