店主と黒猫の話

 墨を流し込んだような黒い毛並みの猫が一匹、浦原商店の玄関先で空を見上げている。
 カラコロと下駄を鳴らせて、店主がミルク片手に表へ出た。

「どうしたんスか、夜一サン」

 雨でもきそうっスか、と殊更呑気に猫へと話しかける。

「安い演技をするな」

 猫が店主の名前を呼んだ。店主は驚かない。続く言葉にも。

「“奴等”が来ておるぞ」
「…その話、ミルクの前と後と、どっちにしましょ?」

 目から笑みを消して、しかし口元には笑みを浮かべて、店主が尋ねる。
 軽くため息をつきながら、猫はさっさと寄越せと返した。
 猫の為の、平たい皿にミルクを注ぎながら、視線をよこさずそう言えば、と店主が言った。

「昨日の夜、お客さんが来たんですよ」
「客…?」

 訝しげに口にしたがすぐ店主の言う客に思い至ったか、猫は鼻を鳴らしてみせた。

「奴め、何用で来た?」
「さぁ?聞いてませんけど、多分お仕事でしょうね。帰りにたまたまって感じでしたよ」

 ため息をひとつついて、差し出されたミルクに口を寄せる。

「相変わらずみたいッスね―、あの人も」
「貴様が言うな」
「アタシはちゃんとお仕事してるじゃないスか!」
「貴様のそれは半分以上が趣味じゃろうが」

 良いから黙って飲ませろ、と言われてしばらく辺りは静かになった。元より人通りの多いところではない。

「…奴は、なんと?」

 やがて綺麗に皿を舐めた猫が、満足そうなため息をもらしながら言った。

「特には。本当に偶然みたいでしたから」
「偶然…か」
「まぁこれでいくらかは、やりやすくなった筈ですよ」

 言葉の割に、店主の声は明るくない。偶然と必然はいつでも隣り合わせであると、どちらもよく知っている。だが例えこの偶然が仕組まれたものだとしても、敢えて乗るしかない、とも。
 自分たちに選べる道はそう多くはない。だとすれば仕組まれた罠を反対にかけてやる程の気構えでちょうど良い。

「…おとなしくしておればよいが」

 遠くを見やりながら猫が呟く。大丈夫でショ、と店主が応える。

「今更焦りはしないッスよ」

 人間にしてみれば気の遠くなる時間、待った。
 恐らくこれが、最後の戦いになる。
 猫も店主も、今はここにいない者も、そう思った。

2011/01/01







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